和州拒金
和州にはどの将軍が兵を向けてくるか、周虎は不安と期待のない交ぜになったような気分で朝を迎えた。
完顔匡が来るか、ハシリエズレンが来るか。いずれにしろ僕散揆はしばらく来ない。
剛弓を引いて、びいんと弾く。
琴の弦のように弓の音が余韻を残す。
中庭に出て矢をつがえて的に向けて射ると、周虎の矢は寸分の狂いなく的を射抜く。
横で見ていた兵士たちが喝采した。
流鏑馬のような騎射でも周虎は的を外さない。
ふいに空に向けて矢を放ったかと思うと周虎の矢が雀を射抜いて、兵士たちはまた喝采した。
「もう少し雀落とせないかしら。丸焼きにして振舞いまってはどうかしら」
いつの間にか横に来ていた母が笑いながら言うのを聞いて、周虎は苦笑した。兵士たちが横で喚声を上げている。おかげでしばらく周虎は雀落としに専念する羽目になった。
昼頃には例の如く、馬の蹄が城門の前で止まり、開門と叫ぶ声が聞こえた。
また早馬だと周虎は肩を落とす。
今度はどこが落とされたのかと諦めかけている自分を叱咤し、大股で中庭を横切っていく。伝令兵はすでに周虎を待っていた。
「報!乙未に随州陥落、敵将は完顔匡!」
周虎の背中に鳥肌が立つような感覚が走った。
完顔匡か、ハシリエズレンか
もういちど周虎は考えた。
少なくとも僕散揆が来ることはない。僕散揆は盧州で足止めされている。
完顔匡が来るのであれば、和州陥落も覚悟しなくてはならない。
墻壁に向かって早足で歩く周虎を、兵士たちが不安そうに見守る。
墻壁からまだ金軍は見えない。
金軍の兵士がどれだけいるかわからないが、もしも完顔匡とハシリエズレンがそろって来るのであれば講和も考えなければならない。和州に有利な条件での講和は難しい。となれば宋と金のどちらも同程度の損害をこうむるか、あるいは同程度の利益をもたらす講和でなければならない。金に一方的に有利な講和であることは決して許されないし、周虎自身の矜持がそれを許さない。
我知らず鼓動が大きくなる。
墻壁から駆け下り、周虎は和州府に戻る。
馬で城内を巡ると和州の住民は不安を隠しきれない表情で周虎に目を向けてくる。
州兵をすべて集めて二千足らず
二千足らずの兵で破竹の勢いの金軍を撃破するのは難しいだろう。寡を以って衆を制することを賞賛するのは愚か者だ。少数で大軍撃破をやってのけた者が過去にいないわけではないが、金軍を相手に自分がそれをしようというのは危険な賭けでしかないと周虎は知っている。だが一体どこの軍が和州に救援兵を出す余裕があるかと問われれば、どこの州にも余裕があるわけがない。
余裕があればどこの軍も和州にひっきりなしの早馬を送りはしないのだ。
早馬が送られてくるのは何も状況報告だけではない。余裕があればどこかから救援兵が出ることがあるのではないかということもある。ところがどこにも救援兵を送るような余裕はない。安豊軍や光化軍が金に勝ちを取られたことでもわかるように、どこもぎりぎりの戦をしているのだ。
二千足らずで和州の城を守ることができるか否か、どうやって守るか
周虎の頭は四書五経から六韜三略、孫子、呉子と目まぐるしく古今の戦略書をめくり始めた。
寡を以って衆を制することをやってのけることができなければ、和州の負けである。
肝が据わってきたなと自分で思う。
金軍を相手に、どこか期待がある。
和州抗戦の準備を、周虎は整え始めた。
和州が金に包囲されたのは、神馬坡が完顔匡に攻略された翌日であった。
伝令兵が唇を噛締めている様子に、田琳はどこかが神馬坡に続いて落とされたかと内心で地団太を踏んだ。
「旧岷州、金軍に落とされました」
伝令兵の言葉に田琳がきりりと歯軋りをする。
そうして続けざま伝令兵がつないだ言葉は、それ以上に田琳を失望させた。
「守将の王将軍は遁走」
田琳の声は、怒りを通り越した静けさを湛えていた。
「いつだ」
少しばかりうつむきがちに、拱手を崩すことなく兵士は応える。
「丁酉」
守将の王というのは王喜という男だったはずだが、その王喜が遁走した。
田琳の胸中に怒気がこみ上げた。
僕散揆は、丙申に盧州から撤退した。
岷州が落とされる前日のことである。
同丙申、ハシリエズレンは更に一州を落とし、完顔匡は別働隊を動かして安陸、應城、雲夢、考感、漢川、荊山などの県を包囲した。
きりりと田琳は拳をきつく握り締めた。
開門を叫ぶ声が城門の兵士に向けて張り上げられた。
馬が嘶いて棒立ちになり、たたらを踏んだ。
盧州の城門が開かれ、馬ごと飛び込んだ伝令兵がもういちど大声を張り上げる。
「和州より報!金軍和州を包囲、和州将軍周叔子徹底抗戦の所存!」
兵士が喚声を上げる。
和州の伝令兵は周虎が差し向けた。
廊下を駆け抜け、伝令兵が田琳の元へ駆け込んだ。
「盧州守将、田将軍に報。戊戌、金軍和州を包囲、守将周叔子、徹底抗戦の所存」
王喜のところから向けられた伝令兵がため息をついた。
和州将軍は徹底抗戦をとったか
田琳は多少の溜飲を下げ、怒気をおさめた。
「了解した。一日休むがいい」
和州からの伝令兵が戸惑うような、あるいはためらうような仕種を見せたことで田琳は首をかしげた。
伝令兵からこぼれた言葉は、すぐに和州へ戻りますという返事だった。
「気懸かりがあるか」
田琳の言葉に伝令兵は表情を固くして逡巡し、それから口を開いた。
和州の州兵は二千に足らず
田琳の表情が強張った。
二千足らずで徹底抗戦をするのかと、王喜の下の伝令兵は呆れた。
踵を返し、周虎の放った伝令兵は盧州を後にした。
和州を落とさせはしまいとする周虎率いる和州軍と金軍は、完全な膠着状態に陥った。
それでも早馬は和州へも駆け込んでくる。
周虎も田琳も、次々と金軍の将軍が城を落としてゆく報告を聞くのは面白くなかったとはいえ、入ってくる早馬の報告を聞かないわけにもいかない。金軍の将軍の中に完顔綱や蒲察貞という名前も混じりはじめ、周虎も田琳もますます頭を押さえたのだった。
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