三国志のゴミタメ場に北宋の話が出てきてしまって首をひねっている方がいらっしゃると思います。
 この「姑蘇夜譚」は三国志の話というよりも「場所の思い出」というものがテーマになりました。
 舞台は蘇州、雍煕寺と呼ばれた場所です。



 この雍煕寺というのが、すなわち三国志に出てくる周瑜の邸です。
 かつて後漢の時代に周将軍巷と呼ばれた蘇州の一角は、後に次々と主人を変え、最後には火災で消滅してしまいます。
 三国時代を経て、五胡北魏と呼ばれた時代には陸氏(この邸を別荘として所有したのは梁の太守、陸襄であるといわれる)の所有となって法水寺という号がつき、唐代には高僧が改修しています。
 その後北宋の時代、雍煕年間に「雍煕寺」と改められ、南宋の時代に呉郡出身の武状元、周虎(字・叔子)の邸となって「武状元坊」と呼ばれるようになり、その巷(中国語会話などで「胡洞」という単語があるが、南ではこの「巷子(シァンヅ)」が「フートン」に相当する)も三国時代以来の「周将軍巷」から「武状元巷」と呼ばれ方もまた変わります。
 元代に一度戦火で焼失、明の時代になると、洪武帝がこの雍煕寺を「城隍廟」に指定しましたが、後1983年に火災でまた消滅し、現在では「城隍廟跡」という石碑だけがこの場所に残っています。


 この城隍廟跡の石碑は蘇州の景徳路94号の奥に立っています。
 かつてはこの邸跡に周瑜が自ら植えたという柏の樹があったといいますが、この柏も現在ではなくなってしまったようで、城隍廟跡の石碑の脇には二本の若い柏の木が立っています。
 この柏が、周将軍柏の子孫であると、せめてそう夢を見てみたいものです。
 …地図には出てませんよ。雍煕寺と言っても老蘇州(生粋の蘇州人)にも「聞いたことがない」と首をひねられました。
 楽器屋に金物屋に病院…なんと周瑜のことを考えたような通りになっている景徳路ですが、近くの「観前街」には「臥龍地下商店街」があります。
 なんでかというと蘇州の土地神の中にはなぜか諸葛亮がいるのだそうです。
 一元バスで「観前街」というところで下車するとぴったりとこの城隍廟前で降りられます。
 しかしこの変わりようがなんとも…憐れをそそりませんか?
 どうやら奥のほうには建築もいくらか残ってはいるようです。が、1958年以降から現在まで、工場として使われているのだそうです。
 なるほど…地図に出ていないわけだ…観光地図なんて観光用の有名どころしか載せませんものね…工場に使っているところなんか載せないですよね…(このページを書きながらやっとその注意書きを発見したらしい)
 参考は「呉地記」および「蘇州詞典」でした。
 なんで呉郡ばかりなんて聞かないでvそりゃただ地方文献が一番多く出回っているからです。



2002年、1月

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送