呉軍の軍事組織の図。

 呉軍の部分的な軍事組織図。
 将軍であふれかえったような呉軍、その統制組織はどうなっていたのか。
 このコーナーはあくまでもメモ帳。
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 将軍の下にある組織です。
 この主力軍五部は校尉に指揮される本隊です。
 将軍が一部隊の最高指揮官であるとすると、その次点が校尉だということがわかります。
 つまりひとりの将軍の下には五人の校尉がいることになるのです。が、なんだか冴えませんねえ…他の校尉さんたち…。
 その下校尉のにいるのが「司馬」です。この司馬は部内の実質的な軍事管理が仕事だそうです。
 組織が五部制であることから、呉軍の軍事組織は漢代の軍事組織をそのまま踏襲していることがわかります。

 次にこの、部と別部の内部組織です。
 こんなに簡略化してますが、別部には校尉というものがいないようです。
 ついでに言えば、将軍というのは後漢から三国時代にかけては稗将軍、偏将軍というのが一般的で、この稗偏将(稗将軍、偏将軍の簡略化した呼び方、古代の呼び方と言われる)が第五品であることから、将軍というのは一般には第五品あたりの軍人であると思われます。
 また、後漢代では太尉(副丞相)が軍事最高官で、大司馬になっています。
 ということは魏の曹丕君は建安一六年に後漢の軍事最高司令官になっているということですね。いやすごいのは親の七光りというか。
 こんなことを言って曹丕ファンを敵に回しそうな私はちなみに魏軍では曹丕が贔屓です。

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