江陵晩暁閑話、忍ぶることの弱りもぞする


 呂蒙の昔話というものを、甘寧は初めて聞いた。
「俺の初陣てのはさ、15のときだったんだな」
 呂蒙の言葉に甘寧はへえとうなずいた。
 船旅の間の暇つぶしである。
「早かったんだな、道理で若いのに勝負師なわけだ」
 甘寧に言われて呂蒙はなんだそりゃと目を見開いてから渋い顔をした。
「なに、勝負師ってのはいいもんだ。いざってときに強い。今度の時みたいに緊急事態にすぐに対応できるヤツだ」
 いいのか悪いのかわっかんねえなと呂蒙が苦笑し、甘寧はははと笑った。
「そのときには兄ちゃんが伯符将軍のしたにいてな、俺は小柄で、まだチビでバカで、その兄ちゃんの怒号を食らったんだ、おまえこんなところでなにしているんだーっ!子供の遊び場に行くんじゃないんだから早く戻れーってな具合だ」
 ふんぞり返ってその兄の様子を真似して見せる呂蒙の仕草に甘寧は思わずはははと豪快に笑った。
 酒を注ぐ。
 杯を白く濁ったような酒が満たす。
「しかしおまえに兄ちゃんがいたのか」
 ゆっくりと杯をゆする甘寧に聞かれて呂蒙は自分の杯を同じようにゆっくりとゆすってかき回しながらいやと答えた。
「兄ちゃんといっても姉の旦那だ。実兄というこっちゃないんだ」
 呂蒙の返事に甘寧はへえとうなずいてくっくと笑った。
「その兄ちゃんもびっくらこいただろうなあ、家にいるはずの妻の弟がくっついて来てるときちゃな。おまけにおまえ、一五歳か」
 甘寧に、呂蒙は苦笑しながらうなずいて少し酒を口に含んだ。
「今考えると素っ頓狂なことをしたもんだな俺は。今甥っ子なんぞがそんなことしたら俺も怒鳴って家に追い返すところだ」
「同感だな、俺はその兄ちゃんに同情する。が、そこで退かなかったおまえにも感心する」
 甘寧の言葉に呂蒙はにこりと笑って見せた。
「ありがとさん、そういうヤツだから俺はあんたが好きだよ」
「気が合うな、俺もおまえみたいな無謀な男が好きだ」
 くっくと笑いながら寝酒に浸り、甘寧は呂蒙の昔話の先を促した。
「帰ってから母ちゃんにもむちゃむちゃ怒られてさ、そんときに咄嗟に虎の穴に入らなきゃどうやって虎の子をつかまえるんだ!虎捕まえて金もらうみたいに戦場行って一旗挙げてやる!って言ってやったんだな。そうしたら兄ちゃんが観念して仕事場に連れてってくれた」
 笑いながら言う呂蒙に、甘寧はおまえも公績とあんまり変わらんような子供だったわけだと苦笑した。
「そんでさ、その後が大変だった。兄ちゃんに迷惑かけたなあと思ったのはそんときだったよ」
「どうした」
「官吏のひとりにからかわれたんだ。おまえみたいなチビになにができるって言われたもんでかっとなっちまった」
 自嘲するように押し殺した声で笑う呂蒙に、甘寧は酒を注いでやる。
「その官吏を殺したんだな、俺。そのあと上司んとこ行ってさ、そんで一部始終話したら伯符将軍は俺を取りたててくれた。なぜだか知らんが」
 呂蒙の話しに甘寧はふうんと相槌を打った。
「先将軍つのはそういう男だったか。やっぱり一度拝んでおくべきだったな、失敗した」
 甘寧の言いぐさにそれは本当だぞと呂蒙は強く同調する。
「公瑾将軍もあら度量がでかいが、先将軍てのも度量がでかかった。二人が並ぶと壮観てのもそうなんだが、変な二人組みでさ、並ぶと仲がいいのか悪いのかわからんようなふたりなんだ。寄ると触ると悪巧みするような人たち。ほれ、公瑾兄なんか見ていてもわかるだろう、あの頭でくだらない悪戯ばかり思いつくんだ」
 酒を飲みながら甘寧は苦笑した。
 聡明というような頭でくだらない悪戯を思いつかれてはたまらなかろうと思ったのだ。
「俺もなんどか引っかかった。最悪だったのはふたりで便所の豚を上に移動してきたときだったね。便所に行ったら豚がいてさ、でけえやつが、びっくらこいた。あんときゃ本当にまじめにコイツを焼き豚にしてやろうかと思った」
 爆笑して甘寧は酒をこぼしそうになり、呂蒙がそのときは俺はまじめに考えたんだと反論する。
「食うことが先決なんだな、おまえは。いや、俺も豚に遭遇したら一瞬は考えるだろうなあ、焼き豚ねえ」
 そうだろうと呂蒙は胸を張る。
「そんときゃおまえ最年少じゃないのか」
 聞く甘寧に、そうだったかもなあと呂蒙は首をかしげた。
「そんで、俺はそのとき一五歳だった」
 つぶやく呂蒙に甘寧はそりゃわかったよと返事をする。
「結構可愛がってくれたんだが、若いのに死んじまった。それがさ、そんときゃ兄ちゃんは別部司馬だったんだ。司令官なんてやったこともなかったんだが、兄ちゃんのお株が俺に回ってきて、そんで俺はめでたく出世街道」
 結構いろいろあったんだなあと甘寧がつぶやく。
 いろいろあったんだよと呂蒙がつぶやき返す。
 それから酒をまた注ぎ足して呂蒙はどんっと壺を置いた。
「そう、俺の駆け出しは平兵士で一五歳のときだった。それが公績のヤツは一五歳で親父の後釜別部司馬。うらやましいとも思わなかったし嫉妬もしなかったが」
 おまえも度量はでかいよと甘寧が自分の杯に酒を注ぎながら言ったが、呂蒙はそれでと付け加える。
「そのとき俺は思ったね」
「なんて思ったんだ」
「俺はコイツをしごき倒してやる」
 呂蒙の言葉に甘寧は心底可笑しいとでもいうように笑い出した。
「それはおまえ、公績も災難だったなあ、おまえみたいなのに見こまれちまったんじゃあ」
「なんだそれは、俺はそのときに本気でそう思ったんだ。それがどうだ、今になってあの野郎口だけ達者になりやがったぁ!」
 結局は呂蒙の愚痴に一番中つきあわされた甘寧である。翌朝小梁に叩き起こされて呂蒙はまた小梁を一発叩くのであった。ちなみに小梁は呂蒙の横にいて彼の手をよけるのが上手くなったのではないかと同僚に噂されているというのは呂蒙の知らない話しである。

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