江陵晩暁


 陣をまとめて開口一番に呂蒙が言った言葉はこれだった。
「よくぞ生きて帰った!」
 甘寧はこう言った。
「よっしゃ、心行くまで飲むぞ!」
 凌統は内心で舌打ちをした。
「しまった!砂埃だらけのところでなら、奴に向かって弓を放ってもばれなかったじゃないか!」
 程普は安堵した。
「将兵これだけ、無謀なこともなかったのは相手のおかげかもしれんな」
 程普の言葉に呂範が苦笑した。
 奪われた後の城の中で程普に礼を言われても、まったく聞こえてもいなければ、ありがたくもない曹仁である。
 その曹仁は、軍をまとめた帰途でため息をついた。
「この顛末を聞いたら、また丞相が周公瑾を掻っ攫う計画を練り始めるに違いない」
 曹仁は知らないのである。
 曹操はすでに周瑜を捕まえる為の人材を選出しているのだ。
 その周瑜のことで、同窓の蒋幹は嘆息した。
 九江の蒋幹と言えば、周瑜と並んで江淮に聞こえた秀才である。
「まあ、やっては見るが、公瑾を口説き落とすとなると難しいなあ」
 あくびをしながら言う蒋幹の姿は、まったくもって、真剣な様子ではなかった。

 一段落して凱旋した呉の将軍たちを待っていたのは、孫権からの褒章である。
「よくぞ戻った」
 合肥で魏軍と対峙して、自分は撤退してきた孫権である。周瑜と程普が都督として曹仁に勝利したというのは朗報であった。
 周瑜と目が合った魯肅が、周瑜に向かってにこりと笑ったが、いつも微笑している魯肅がにこりと満面の笑顔で笑ったところで、周瑜にはいつもの笑顔に、いつもの調子で手を振るしかできなかった。傷の痛みで引きつった笑顔にしかならない周瑜に、魯肅が首を傾げたのだが。
 堂下に集まった呉軍将兵が孫権に向かって拱手する。
「ごくろうだった。ゆっくりと休んでくれ」
 本当に休むことができるような男たちはいないのだか、とりあえず孫権は言っておいた。
「公瑾!南郡を任せる、江陵に駐屯するがよい」
 孫権に言われ、周瑜は微笑を浮かべて「是」と拱手しなおした。
「徳謀!」
 名を呼ばれて、程普が拱手する。
「江夏を任せる」
「是!」
 周瑜と同じく、程普も拱手をしなおして下がる。
「子衡!」
「是」
 呂範の戦甲からのぞく派手な半襟に、賀斎が「あれまあ」と小さくつぶやいたが、目立たない程度の声であり、それを運悪く聞いてしまった周囲の将軍も、賀斎に言われてはと呂範の半襟に苦笑するしかなかった。
「彭澤を任せる」
「遵命」
 後ろがなにやら騒がしいことに気がつき、拱手しながら、呂範はちらりと後ろを横目で見た。
「呂子明には尋陽を任せる!」
「是!」
 三十代もはじめで一郡を任されるのだ、これが歩歩高(とんとん拍子の出世)でなくしてなんであろう。
 母に孝行するという呂蒙の願いは、ここに来て実現に近づいた。

 それぞれ、堂下を退出してから思い思いのところへと散じたのだが、当然周瑜は自宅へ直帰した。
 飛びついてきた妻に、周瑜は開口一番に言った。
「今度ばかりは俺も死ぬかと思ったぞ」
 周瑜を見上げる妻の顔が真っ青になる。
 次に妻のとった行動は、周瑜の予想からまったく外れていた。
 予定では、飛びついてきた妻を抱きしめて、そのまま庭でも回ってから琴でも弾いてもらおうと思っていたのだが、妻は一歩ひいて夫を眺め、それから思いきり夫の頬に平手を打った。
 軽いが肌の張り裂けそうな音がして侍女が目をそらし、管家が肩をすくめ、黒龍を繋いでいた陳丹が痛そうに顔をしかめた。
「死ぬかと思って帰ってきた夫に平手を食らわせる妻がどこにいるんだ!」
 主人夫婦がこんなだから、陳丹は嫁をもらいたくないのだ。
 次に妻に思いきり抱きつかれ、その弾みで傷のある場所をきつく締められた夫は、不覚にもうめき声を上げた。
「いつもいつも、あなたが死んで帰ってくるのではないかと、身を切られるような思いをして待っている妻に、よくも簡単に、死ぬかと思ったなどとおっしゃる!」
 妻の言葉に周瑜は引きつった笑顔で返した。
「妻に心配をかけて悪かったとは思うが、これが仕事だ。それから、傷口のあるところに抱きつかれると痛くて」
 真っ青な顔で言う周瑜に、妻はぱっと手を放した。
 妻がはなれるのと同時に、周瑜はわき腹を押さえてかがみこんだ。
「痛え!」
 戦場では決して一般兵に見せないような姿を曝して、周瑜は妻のほうを見上げた。
 困ったように苦笑して、妻は周瑜の横に寄り添う。
「部屋に戻って、ゆっくりとご養生なさって。傷がよくなるまではいくらでも、あなたにお守りをあげるから」
 にこりと周瑜が微笑して妻の頬に口付けをする。
 夫婦というのは面白いものだとしか陳丹には理解できなかった。
 理解できないことは馮栄にもある。
 呂蒙が馮栄の肩を叩いて酒を注ぐ。
「飲んでくれ。明日からはまた、先生に世話になる」
 明日と言った呂蒙に、馮栄は辟易した。
「これだけ飲んで、明日からまた講義ですか?私の身体が持たない!」
 悲鳴を上げた馮栄を、呂蒙がほろ酔い加減でからかった。
 これより先、劉備は孫権の計らいで荊州の地を得、以後、智謀の争いは魯肅と孔明の、目に見えぬ戦となる。
 将軍たちの、束の間の休息であった。
 酒を酌み交わす男たちの顔を紅く染めるのは酒だけではない。
 真っ赤な夕焼けは、これから先、三国の争いの中心となる大陸を照らし出した。
 長江が朱に染まる。
 今では、同じ長江を、工業用船や客船が往来する。
 ハヨウ湖を望む九江は後漢の時代の九江郡よりも小さくなってしまっているが、その九江の地図には、呉の周瑜が魏と蜀を拒んだ地だとある。
 武漢の、漢口と漢陽を望む場所には魯肅の墓が建てられている。魯肅の墓や周瑜の墓は、諸説あり、いずれが本物かなど定かではない。
 梅の花が散る。
 白梅、紅梅…春風は暖かく、花びらをゆっくりと散らす。
 孫権の墓と言われた山は明代に梅花山と名を改められ、横に明の太祖朱玄章と、その早世した太子の墓を見る。二月も半ば過ぎから三月に南京へ行ったならば、孫権の墓と言われた場所に、満開の梅の花を見ることができるだろう。

滾滾長江東逝水
浪花淘尽英雄
是非成敗轉頭空
青山依舊在
幾度夕陽紅
白髪漁樵江渚上
観看秋月春風
一壺濁酒喜相逢
古今多少事
都付笑談中……(羅貫中『三国志演義』より)






あとがき
 赤壁、江陵と、長い話でしたが、ここまでお付き合いくださってありがとうございました。
「やっと終わりか」と言う方、「もう終わりか」と言う方、様々でしょうが、実際、書いている人間にとっては「歯切れが悪いが、これで終わりだ」という感じです。
『介子嘉版赤壁・江陵演義』では、周瑜のウソの葬式も、蒋幹を騙しての曹操との知恵対決もありません。
 正史ではなく、演義でもなく、通鑑でもなく、それでも正史であり、演義であり、通鑑でもある。そんな適当な読み物ですので、もう一度、気楽に最初から読んでみるのもよいかもしれません。
 語釈の誤りや、誤字脱字、中国語として「真っ当な」表現や、間違った中国語、色々と出てくるでしょう。
 それでも掲載をはじめて二年間、よくやったと自分で褒めてやりたいという気にもなります。
 もともと、この『赤壁逍遥』は、高校時代に文芸部用に書き始めたのが原点で(もっとも、これは実際には出さずに終わりましたが)、万能で天才の周瑜と諸葛亮が飛び回っていました。
 しかも並行して「裏・赤壁」なるものがあり、それは完全なファンタジー(!)でした。なにしろ死んだはずの郭嘉と孫策が召喚されてゾンビかキョンシーか、はたまた幽霊かという状態で出てきていました。
 今から考えると、「何しているんだ、高校時代の自分よ」という状態ですが、これが本当にくだらないお遊びで、受験勉強もおろそかに、確かあれは、荀ケか誰かに郭嘉を召喚させていたはずですが…不思議な(くだらない?)ことを考えていたものです。いつか、それを掲載するのも面白いかもしれません。
 「あとがき」の書き出しの繰り返しになりますが、この後が気になる方も、この後はいらないという方も、当方の将軍たちを応援してくださって、ありがとうございました。

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