魯粛奮闘?、江東IC泥棒騒動


 31階で主ふたりと比肩する権力者
 それは実はこの国政戦略部副部長の魯粛である。
 おっとりとした風貌は高校時代にクラスで「長老」やら「ご隠居」という喜んでいいものかどうかわからない渾名をつけられたこともあるが、彼自身はその風貌を気に病んではいない。それに一般的には彼の容貌はいい男の部類に入るだろう。
 しかしその高校時代、囲碁部在部中にはトップで負けなしという記録も持っており、江東ICに就職してからも、張昭、張紘、程普らを相手取っての社内囲碁愛好会ではやはりトップクラスに名を連ねている。もっとも年輩の人間に勝たせるという気配りも忘れてはいない。
 魯粛がなぜ25階にいるか。
 それは25階が交流広場と銘打たれた休憩室だからである。
 囲碁愛好会もこの休憩室に設けられている。
 他にもこの25階には茶道愛好会やら映画同好会、ヨット愛好会などのクラブの部屋が色々とある。どうにも魯粛には胡散臭いと思えて仕方がないのは「UFO愛好会」と「オカルト同好会」である。
 ちなみにUFO愛好会で会長をしているのはもちろん呂範、オカルト同好会会員の間で変人の異名を取っているのは当然陸遜である。
 一番奥にあるのはオーケストラクラブなのだが、コンマスが周瑜ではついていく人間が悲惨である。もっとも江東ICのオーケストラクラブは、この音にうるさい周瑜のおかげか全漢アマチュア音楽祭では6連覇の名門となった。
 魯粛は甘寧らのいる喫煙室を見てからその近くの席には寄らないことに決めた。
 煙が立ちこめているのだ。
 深々とした霧が立ち込めているようなタバコの煙の中で息が出きる甘寧や董襲に魯粛は首をすくめた。
 振りかえると黄蓋が手を振っている。
 どうやら程普を張昭にとられてあぶれているようだった。
「どうも、昼寝はしましたか」
 魯粛はにこりと笑いながら黄蓋の前に腰を下ろす。
 江東ICの人間は昼寝が好きである。
 これは大体において南の人間の習慣だ。
 北出身の諸葛瑾などは昼寝用にすこし長くとられた昼休みの間に重役たちのスケジュール調整をしていると聞く。
 少しですがねと応える黄蓋に笑いかけて魯粛は碁盤に目を下ろす。
「ところで最近奇妙な噂がありましてな」
 碁を打ちながらの世間話に花が咲く。
 この世間話を魯粛は面白がりながら聞いていたが、黄蓋に聞いた世間話のひとつが我が身に降りかかろうとはこのとき思いもしなかった魯粛である。

 その夜中の25階。
 魯粛はふだん使っているボールペンを囲碁サロンに忘れてきたことに気がついてそれをとりに行こうと降りてきた。
 この日、同日中に目を通さなくてはならない資料があったため魯粛は夜中の10時まで31階の戦略部ブースに閉じこもっていたのである。
 呂蒙がサインをして出してきた資料すべてに目を通したのはいいが、この呂蒙、親切のつもりだろうが関係資料まですべてコピーを提出してきたのだ。魯粛が驚いたことは言うまでもない。せめて枚数を削ってきて欲しかったと思ったが、通して見ないと意味が通じないところもあるかと思ったのですがご迷惑でしたか、という呂蒙の言葉が返ってくるのは目に見えていたために彼はそれを呂蒙に言わなかった。月に3回もそれをやられれば嫌でも諦めがつく。当人に悪気がないのでそれを責めるわけにもいかないし、それを責めようとも魯粛は思わない。
 ただあれを要領よく纏め上げてこられれば、プレゼンも完璧にこなせるんだが
 魯粛は肩を落とした。
 残業終わりになってからボールペンを取りにきたのは別に急いでボールペンを取りにくる必要もなかったからである。机には今年の夏の旅行の土産だといって陸遜がくれた論語がデザインされているボールペンがあったからだ。
 せっかく陸遜が自分に土産として買ってきてくれたものを断るわけにもいかず、とりあえずデスクに置いておくだけでも陸遜がちょっとうれしそうにするのでそのままペン立てに突っ込んである代物である。
 自分のボールペンを見つけ、囲碁サロンからでた魯粛はがさごそという音に背後を振り返った。
 黄蓋から昼間聞かされた話をふと思い出し、魯粛はあたりを見まわした。
 黄蓋から聞かされた話というのは業務スパイの話である。
 どこの会社でも企業秘密というものはあるのだが、こういうことはゴミ箱から出てくることもある。それを狙って泥棒に入る不届きな奴がいるというのだ。
 案の定、振り返った先、懐中電灯が漁っているのはゴミ箱である。
 清掃用具入れがこのあたりにあったはずだが
 思いついて魯粛は足音を忍ばせて壁伝いに清掃用具入れを探した。
 カタンという音に懐中電灯がこちらを照らす。
 踊りかかってきたのは懐中電灯のほうだった。いや、懐中電灯を持った男のほうだった。
 探り当てた清掃用具入れの扉をバンッと開くと、魯粛はそれを盾にした一瞬で箒をつかみ出して後ろへ退く。
 退いた直後に清掃用具入れの扉が男の足で派手な音を立てて閉められ、次には男の拳が飛んできた。
 空を切る音を立てて魯粛が箒をなぎ払うと、箒の先がばさばさと音を立てて男の身体を掠めた音がする。
 手応えあり
 魯粛はだんっと踏みこんで次には箒で男に突きをかます。
 男の足音が横にずれた。
 暗闇の25階、ふたりの男のだん、だんと踏みこむ足音とばさばさと箒のなる音、不気味を通り越して奇怪である。
 がんっと音をたててもう一度清掃用具入れが開く。
 男のほうがモップを取り出してきたらしく、かつかつかつとモップの柄が槍のように床を突く音がする。
 ちっと舌打ちをしながら魯粛は足を横に滑らせて男の横にまわり、箒の柄を思いきりなぎ払った。
 ばきっと音がして魯粛はラストとばかりに箒の柄で男の肩めがけて袈裟がけに箒を振り下ろす。
 男がこける音にあわせて、いってえ!と派手に悲鳴が上がった。
 あー、助かったと息をつきながら休憩室の電気をつけた魯粛が見たものは座り込んで背中をさする営業4課の朱然であった。
「朱義封営業4課長…何やってたんですか、こんな夜中にゴミ箱漁って」
 確かに、夜中の真っ暗な中で細い懐中電灯ひとつでゴミ箱を漁っていたらただの変な人である。
「捨てた企画書の裏に部下の電話番号をメモしていたのを忘れていて、それを探しているところなんか部下に見せられませんでしょう…痛てえ〜…」
 朱然の言葉に魯粛はあっけにとられたが、しかし自分は正当防衛である。
「なんで私がなぐられにゃならんかったんですか」
 肩を押さえながら朱然が涙目で、泥棒だと思ったもんでと魯粛に返し、魯粛は自分も朱然が泥棒ではないかと思ったと言うと仕方ないでしょうなと朱然は言い、それからまた痛てえとうめいた。
「箒で殴り返してくるもんだから電気がついたときてっきり私は甘興覇か周幼平かと思ったんですがね、まさか魯子敬だったとは…油断した。あなたに剣の心得があるとは思いませんでしたよ」
 魯粛は申し訳なさそうに朱然の方にすまんと頭を下げる。
 魯粛が少年時代地区少年太極剣大会、少林寺大会を連覇したことは知られていない。本人でさえ忘れているが、実は暇に明かして息子の剣の稽古相手ぐらいはしてやっている。
 突然ひたひたと足音がして魯粛と朱然はエレベーターホールの方を見た。
 ひとつしか電気のついていない暗い休憩室でその足音を聞くのは不気味であった。
 その休憩室のガラス張りの壁の向こうを白い服がぼうっと浮かびあがるように歩いてくる。その影の持っているろうそくがちらちらと揺れて不気味である。
 魯粛と朱然は息を殺した。
 休憩室の前を通りすぎたのはなぜか陸遜だった。
 気の抜けたふたりはそれで帰途についたのだが、ふたりとも帰りのタクシーの中でつれづれに話す会話に陸遜を見たことについての話題は出さなかった。
 ついでになぜ陸遜が夜中の11時にろうそくを持って廊下を歩いていたのか。
 それは彼が監査の奇人こと室長の虞翻と季節はずれの怪談大会を開いていたためであった。

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