呂蒙の憂鬱、あな哀しきかな貧乏性


 その日、江東公司では社内懇親会が催された。
 リバーサイドホテルの最上階ホールで催されたそこには主だった管理職員が集まっているが、その中で国際戦略部課長の呂蒙は皿を持ってうろうろしていた。
 未だ食い盛りといった風情の社長である孫伯符を筆頭によく食べる男ばかりが集まったこの懇親会では100頭以上の豚や牛がつぶされたという話も聞く。
 呂蒙とてその男たちの例に漏れず皿には牛肉と豚肉を満載している。
 その呂蒙がなぜうろうろしているかというと、彼がどうしても手を出せない一角があるためだ。べつに牛の丸焼きに甘寧が食らいついているからとか、徐盛、丁奉、潘璋、凌統が丸まるのトリの照焼きの皿を奪い合っているからとかでテーブルに割りこめないわけではない。その程度ならば彼も甘寧を踏んづけ、徐盛丁奉を押しのけて肉にありついて見せる。
 だが目前に繰り広げられるその光景は明らかに背後の肉の奪いあいとは異なった様相を呈している。
 質より量の背後、そして量より質の目の前。
 部長の周瑜をはじめ、陸遜、呂範、程普らの立っているその一角はとても同じホールの中とは思えない。
 副部長の魯粛に呼ばれて来たまではよかったがこの一角で皿の肉を食いきってしまったらいったいなにを食えというのか。それを考えてうろうろしながらも確実に彼の皿の上の肉は減っている。呂蒙がテーブルの上を見ると名前はまったくわからないが高そうなものが並んでいる。
 たとえばバカでかいエビ。
 それからレバーペーストのようなもの。
 それからと横を見て、呂蒙は見たことのあるものを発見した。
 カクテルグラスに盛り付けられた黒いイクラ。たしかなにやらのグルメ番組で出てきたひとびん何万円だかするイクラのはずだ。
 部下の副課長である陸遜はそれを奇妙な色のクリームのついたクラッカーに載せながらそれを見ている呂蒙に気がついた。
「課長、キャビア嫌いでしたっけ」
 陸遜の言葉に、そうかこれはそういえばそんな名前を司会者も言っていたような気がすると反芻しながら呂蒙は陸遜にむかっていいやと首をふって微笑してみせた。
 ただそんな高いものを食べたら後でつけを払えといわれそうな気がするだけだ。
「そちらに2年ものですけどシャトー・マルゴーがありますよ」
 よかったとすこし安心した様子でにこやかに言う陸遜に呂蒙は笑顔のままありがとうと言ったが、実は2年もののシャッポとマンゴーというのはいったい何なんだかよくわからない。
 テーブルのむこうを見ると孫権と諸葛瑾が薄い肉を皿にとっている。
 元来細い諸葛瑾はともかく、かの孫家に生まれた孫権があれで足りるとは思えない。
「呂子明」
 現社長の孫策の声に呂蒙は背筋を伸ばした。
「なんでしょう」
「口をあけろ」
 条件反射で言われるままに口をあけた呂蒙の口内になにかを放りこまれ、思わず呂蒙はそれを飲みこんでしまった。
「うまいか」
 孫策の言葉に呂蒙は口をぽかんとあけて首をかしげた。
「勢いがよかったんで思わず」
「まさかそのまま飲みこんだのか」
「はい」
「おまえなあ」
 呂蒙の返答に孫策は呂蒙らしいと笑ったが、彼にしてみればとんでもない話しで、ひとかけ数千円ぐらいするかもしれない代物をそのまま勢いにまかせて飲みこんでしまったのである。できることなら牛のように戻して食いたいものだと呂蒙は一瞬思ったが、それができたらこの会社ではなくても大道芸で食べていかれるだろう。
「子明、はい口あけて」
 周瑜の言葉にまた呂蒙は思わず口をあける。なにやら親鳥にエサをもらうヒナ鳥のような呂蒙の反応に周瑜は思わず笑いを漏らした。思わずあけた口に今度は周瑜の箸が肉をつっこむ。
「社長も部長も私を子供扱いにしてませんか」
 今度はきちんと噛んで飲みこんでから呂蒙は反論したが、いかんせん言われるままに口をあけて食べた後では迫力が無い。
 周瑜が呂蒙の頭をなでながら孫策にむかって苦笑する。
「口の中に放りこまれたら俺だって思わず飲み込むだろうよ。おまえの勢いがありすぎるんだ。俺のかわいい部下をいじめないでくれよ」
 周瑜にいじめっ子呼ばわりされた孫策がふてくされたように周瑜の方に目をやる。
「俺は子明があまり食べてなさそうだから気になっただけだ」
「わかったわかった。子明、おまえは具合でも悪いのか。顔色が悪いぞ」
 こんな人外飲食物魔境にいたら俺が今日どれだけ健康でもきっと具合が悪くなるだろうと内心に反論するものの、あわれ呂蒙はそれをこの人外魔境で育ったようなふたりに対してなど口に出せない。
「大丈夫です、きちんと食べてますから」
 それならいいとうなずいて孫策は呂蒙の尻をぱんとたたいた。
「しっかり食っとけよ」
「はい。それは。ところでさっき私が食べたのはいったい」
 呂蒙のおそるおそるといった感じの質問に周瑜が苦笑しながら自分の皿を指さす。
「仔羊の骨付き肉のルバーブソースがけ、伯符が放りこんだのは知らないが」
 名前からして高そうだと呂蒙がへたり込みそうになったのを周瑜は知らない。その横で孫策がぼそっと料理なんてものは名前なんぞわからなくても食えばみんな同じだと言ったのに、周瑜が耳をつねってナニ食ったかぐらいは知っておけと孫策に耳打ちした。
 それからまたテーブルに戻ってクラッカーやら例のキャビアやらを物色し、ふざけたように食わせあう孫策と周瑜をながめて呂蒙はいっきにくたびれ、それから、いったいあのふたりはここに並んでいるものを何皿食べるのだろうと考えてぞっとした彼はあわててその想像を打ち消した。
「この皿まだ手をつけていませんからどうぞ」
 救いの天使の出現に呂蒙は前を見た。
 目の前では諸葛瑾がにこりと笑っており、笑い返してから自分の皿を見ると自分の皿はもう空になっている。どうりで孫策や周瑜が心配するはずだ。
 諸葛瑾からもらった皿にはテーブルの上に並ぶ高そうなものがきれいに並んでいる。
 野菜の肉巻き、エビのサラダ、さっき周瑜にもらった仔羊のなんとかソースがけ、それから果物。
「呂課長、どうしました」
 皿の上を見て放心している呂蒙に諸葛瑾が声をかけ、はっとしたように呂蒙は諸葛瑾のほうを見た。諸葛瑾はあいかわらずの天使のようなほほえみで呂蒙を見ている。
「なんでもないです、ただ私はあまり高い料理にはなれていないものでどうしたものかと」
 呂蒙の言葉に諸葛瑾はふむと考えるようにくびをかしげ、それからまた天使のような微笑をもらした。
「呂課長、今日は全部社費ですからね。高いものをきちんと食べて社員会で徴収された金額のもとを取らなくては。こういうときしかこの会社でもとを取ることはできませんからね。量か値段のどちらかでもとを取りましょう」
 量か値段。
 さすがに諸葛瑾は諸葛亮の兄であったと思い知らされた気がする呂蒙はこの日、それでもやはり与えられた分以外に値段でもとを取ることはできずに甘寧、凌統らのいる一角へと戻って帰りには彼らとともに焼肉争奪の二次会へと移動したのであった。

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