呂蒙の出稼ぎ協奏曲


 春節、それは出稼ぎバイターには酷な季節である。
 汝南から出稼ぎに来ている呂蒙はいつも頭を抱えてしまう。
 部長の周瑜はもともと都市階級の人間である。そして魯肅、陸遜も。
 そう、国際戦略部において呂蒙だけが農村出身なのである。
 呂蒙が江東ICに出勤するようになったのは社長の孫策に気に入られたからであった。
 バイト先の上司と気が合わず、怒鳴りあって首になったのを客の孫策が見ており、生きがいいなと誉められて江東ICへ引きぬかれたのである。当然呂蒙は二つ返事で飛びついた。
 契約書を逆さまに見て上司たちを笑わせたのはこの呂蒙と、やはりどっかのバイトから引きぬかれてきた営業の蒋欽の二人である。
 しょうがないのである。
 二人とも農村出身で勉強らしい勉強ができなかったのだから。
 そして契約時の給料を周瑜から聞かされた呂蒙は思わず椅子から転げ落ちた。
「まあ、初めはとりあえず伯符社長が横にくっつけるといっているし、仕事らしい仕事もないからまずは月給3000元からかな」
 仕事らしい仕事がなくて3000元?
 呂蒙は我が耳を疑った。
「あのー…」
 恐る恐る声をかけた呂蒙に周瑜は首をかしげた。
「ひとつ桁が多いのでは…?」
 呂蒙の言葉にもう一度首を傾げ、それから周瑜は三万?と聞き返す。
 呂蒙にしてみればそれこそ桁違いである。
「違います、今まで僕の給料月600元だったもんで、その、300の間違いじゃないかと思ったんです」
 周瑜の目がきょとんとする。
 300元。
 周瑜の端正な顔が呂蒙を見つめ、それから横にいる幼馴染の方に移る。
 孫策も周瑜と顔を見合わせて、二人でくるりと後ろを向いてしまった。
 二人が小声で話しているのが呂蒙には恐ろしい。
「なあ、月600元ってえとどんなもんだ?」
 周瑜の言葉に孫策が指を折る。
「俺らが息抜きに使ってる安アパートが月1500元だぞ、でもって大喬が昨日買ってきたスーツが一着で480元」
 孫策の言葉に周瑜が絶句する。
 くるりと振り向いた二人に、呂蒙はびくびくしながら上目遣いに顔を上げた。
「子明君、今まで住むところはどうなってたんだ?」
 周瑜に聞かれて呂蒙は首を傾げてから口を開く。
「どうって、そりゃバイト先に住み込みでした」
 なるほどと周瑜は唸る。
 産まれたときからいわゆる「お邸住まい」周瑜の感覚では追いつかない世界であった。逆に呂蒙から見れば周瑜の世界観について行かれないのだが。
「で、どうだろう、月3000元で働く気はあるかな」
 孫策に聞かれて呂蒙は首が痛くなるまでうなずいた。
 そんな経過を経て江東ICに勤務することになった呂蒙も、すでに課長である。本人に自覚はない。
 さて、その呂蒙がもっともいらつく時期がきた。
 春節である。
 中古のモーリスミニをとろとろと走らせながら呂蒙は運転席で腕を組んだ。
 足はきちんとアクセルとブレーキにかかっている。
 モーリスミニなどという車を中古であれ買えたのは呂蒙にとって夢のようなことである。
 ヒールアンドトゥで車を動かすものの、手はほとんどハンドルから外れている。
 帰省ラッシュで嫌になるような渋滞が続いているのである。
 合肥までの辛抱っちゃそうなんだが
 江東ICの本社がある南京から汝南までは通常約5時間ほどでつくのだが、この帰省ラッシュである、高速道路ですでに5時間が過ぎようとしていた。
「14日には帰りたいよなー、今年は本命の手作りチョコが待ってるってんだから」
 バレンタインデー
 それは中国ではマイナーな恋人二人の祭典。
 呂蒙は彼女のために苦心惨憺したものの、やっと納得できるだけの小さな掛け時計を作り上げた。
 ちなみにホワイトデーというものは知られていない。バレンタインデーには男から女へでもいいし、女から男へでもいいし、とにかく恋人の祭典は「バレンタインデー」なのである。
 孫策や周瑜は毎年こまめに妻にプレゼントをしているというし、甘寧も忘年会で口説き落とした彼女に(呂蒙から見ると、忘年会の仮装「十二夜のアントニー」でなぜ彼女ができるのか疑問である)満天の星をプレゼントすると約束したそうである。
 家で餃子食ったら、そのまま翌日には帰宅して、しかし味気ないよなあ、春節なのに一日しか家に帰らないなんてんじゃ
 考えるたびにうつうつとしてしまう呂蒙である。
 彼女のくれたお守りの玉飾りがバックミラーの下で揺れている。
 家のリビングにいる陸遜からのプレゼントのミィちゃんはしっかり留守番をしていてくれるだろう。
 黒猫のミイラなんぞがリビングに置かれていた日には、泥棒だってそんな家にゃこねえよと呂蒙は思う。
 庭には周瑜の土産の人魚姫とマーライオン。
 だんだんとわけのわからん家になってくるなあと呂蒙はため息をついた。
 里帰り。
 とりあえず渋滞を抜けた呂蒙は一般道をひたすら走る。
 母が待っているからである。
 家にたどり着いた呂蒙は怪訝な顔で車を降りた。
 とても見なれたものがいる。
「…かあちゃん、その隣のは…」
 そう、呂蒙はすっかり忘れていたが、「汝南呂家親戚一同」の中には派手な男がいたのである。
「近かったから来てみたんだよ」
 見なれた男、それは国際戦略部の隣にブースを構え、31階で天然派手男周瑜に対抗できる唯一の人物、呂範である。
 呂蒙はがっくりと肩を落とした。
「なにがあったんですか、近いからってなんでうちなんですか」
 呂蒙の言葉に、呂範は呂蒙の肩をひっつかんだ。
「頼む子明、俺の車使っていいからさ、おまえの車ちょっとだけ貸してくんね?」
 呂範の車と言われて振りかえり、呂蒙は慌てて首を振る。中古のモーリスミニを貸すぐらいは問題はない。が、自分が使うのに黄緑色のシトローエンはちょっとと呂蒙は逡巡してしまった。
「なんであれじゃだめなんです」
 呂蒙の質問に、呂範は首を振った。
「嫁さんところに顔を出しに行かなきゃならないんだがな、嫁さんの母上ってのがどうも好みが合わないんだ」
 そのためだけに春節から俺のところに来たんすかと呂蒙は怪訝な顔を呂範に向けた。
 呂蒙が聞いたところでは呂範の嫁さんの母上というのも派手好みのおばさんである。「気が合う」の間違いではないかと思ったが、どうも呂範の様子はそうでもないらしい。
「…できれば明日には返してくださいね、あさってには俺も帰ろうと思うんで」
 呂蒙の言葉に呂範がうなずき、それからわき腹をつついた。
「バレンタインデー、楽しめよ」
 うちはそんなもんとっくに縁がなくなっちまって寂しいもんだと呂範は言う。
 妻帯者ってのも大変なもんだなあと呂蒙は首を振り、それから母のほうに向き直って一歩引いた。
「今の話しの様子、子明君、いつの間によそさまの娘さんをたぶらかしたんだ」
 興味ありげにのぞきこんでくる姉婿の様子は呂蒙をのけぞらせた。
「泣かせちゃ駄目よお」
 言う姉によけいなお世話だと言い返して呂蒙はさかさかと家に入って行く。
 このとき呂蒙はすっかり失念していたのだが、呂範が乗っていってしまった呂蒙のモーリスミニのトランクには姉にあげるはずの土産が積んであった。
 やはり江東ICに勤めている姉婿の手前もあって、決して安くはないチャイナドレスであったのだが、トランクを開けた呂範の妻に発見されてしまったのは不幸であったとしか言いようがない。
 気がついた時には後の祭、呂範の妻はいたく喜び、呂範はよもやそれが呂蒙のものであるとは言い出せず、後になって呂範から呂蒙のもとへ、同じサイズのチャイナドレスが届けられたのであった。
 こうして呂蒙の春節は過ぎたのであった。
 姉の機嫌を損ねたままで自宅へ戻る呂蒙を待っていたのは、彼女からの甘いチョコレートである。
 結局のところ、この年は、とりあえず特をした気分で終わることができた呂蒙であった。

「ずるいずるいずるいですー、課長ばっかり!うちなんか母からの義理チョコでしたよ」
 そういって文句をつける陸遜の元に届いたチョコレートは、江東IC支社長孫権が姪にせがまれて一緒に作らされた手作りチョコレートであったそうである。
 ちなみに陸遜へのコレが本命であったというが、おこぼれに預かった父・孫策と叔父・周瑜は娘たち(姪たち)にチョコレートをもらってうれしそうにしていたという。
 ただしこの父と叔父へ小さな彼女らが送ったものは手伝ってやった孫権の手作りである。
「ねえ権叔父ちゃま、陸のおにいちゃま喜んでくれるかな」
 可愛い姪の言葉に、孫権はうなずく。
「ま、ちょっと焦げたみたいだけど喜ばなきゃ叔父ちゃまが無理やり食わせるさ」
 孫家の人間に見こまれてしまった陸遜の悲劇はこれからが本番であった。

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