江東IC呂子明の不幸


 エレベーターに乗りそこねた。
 ということは彼女との昼飯の待ち合わせに5分は遅刻するということだ。
 興覇につかまった。
 ということは彼女との昼飯の待ち合わせに10分は遅刻する。
 あと2分で12時の時報、時報が鳴れば上から下りてくるエレベーターは満員。
 せっかく少し早めに切り上げてきたと言うのにこれではたまったものじゃない。
 江東ICの本社ビルは45階建て。
 いや、もちろん高さでは東方明珠の向かいのビルにはかなわない。
 日本のビルで想像してもらうとするなら新宿ビル。
 そういえば今年は入社希望者が多すぎて募集締め切りが早かったらしい。
 人事部の採用担当では毎年各大学に優秀な生徒を送ってほしいと言うそうだが、どうも俺は「優秀な」人間は苦手だ。
 いいじゃないか。
 俺の趣味が低俗だろうが何だろうが、おおまじめにUFOを捕まえようとしているオカルトやらの人事部長や、猫のミイラが魔除けのお守りだと信じているエジプトオタクの部下を見てしまったら俺の趣味なんぞかわいいもんだ。
※ 人事部長の呂範はオカルトではなくUFO研究会会長、呂蒙の部下の陸遜はオカルト研究会の変人である。

「へいっ!ちょっと待てえ!」
 公亦が言う。
 公亦とは大体同じぐらいに入社した。
 はずだ。
 毎回毎回公亦との将棋では互角に戦えるから面白い。
「子明課長、ちょうどいいところにいらした」
 横から…ええと、名前がなんだったか、が勝負に水を差した。
 ここからひっくり返してやろうと思ったところで公亦に考える時間をやるのは悔しい。
 それでも仕方がない。
 ちょうどいいと言うのだから何か俺がここにいることで都合のいいことがあったんだろうしね。
「呂子明課長、休憩時間ですか?」
 まだ若い。
 入社したて、じゃなきゃあインターンとか、いや、インターンじゃないな、社員章はきちんと本社社員のものだから、やはり入社したてというところだろうか。曲笛にキリのマークは音響関係の部署のはずだが、まてよ、どこかで見たことはあるような気がする。
 胡綜というのか。
「以前人事部におりましたので31階で何度かお目にかかっております」
 にこりと笑うと、そういえばマメダヌキの前で会ったことがある青年だ。
「子衡部長のところの、そうか。しかしその社員章は音響関係じゃないか?」
 もう一度胡綜がはにかむように笑う。
「音楽関係が一番好きなんです。それを仲謀、あ、や失礼、社長がご存知でして、子衡部長も快く音楽担当にまわしてくださいました」
 ああー…そうか、そういえば前社長と一緒に花見に行ったときにいた。
 俺が苦労して花見の席をとっていたときに、こいつは仲謀と一緒になんかしていた。たしかこいつは仲謀にせがまれて詩を作っていた。なるほど、伯符前社長と周部長コンビの仲謀バージョンか。
「音楽関係が好きだったのか、まわしてもらえてよかったねえ」
 にこりと笑ってやると、本当にうれしそうにはいと頷くものだからたまらない。
 好きなところにまわしてもらえない奴らがやっかむぞお。
「それで、ちょうどいいというのはなんだい」
 聞きながらちらりと将棋板を見る。
 指で将棋板を叩きながら公亦がふんふんと鼻歌を歌う。
 漢界に攻め込まれたらそれまでよ、てところだな。
 しかしやみくもに黄河に突っ込むのは怖いしなあ。まあこれなら時間をかけて叩くか。
「周部長から頼まれていたものが、一応試作ができたということで持っていこうと思っていたのですけれども、時間があれば見ていただきたいもので」
 胡綜が出したのはイヤホンだ。
 というかイヤホンしかない。
「このイヤホンはなんだ?イヤホンしかないじゃないか」
 公亦が横から口を挟む。
 胡綜がうれしそうに説明する。
「これですね、周部長のご注文なのですけれども、イヤホンのコードがかばんからずるずる出るのが邪魔くさいということで、イヤホンだけのプレーヤーにしてあるんですよ」
 イヤホンのプレーヤー?
 公亦も少し首をひねる。
「パソコンから、小さなチップに音楽をコピーするんです。ほらこのチップなんですけれど、デジタルでしてね、このチップをイヤホンに突っ込んで、デジタルの音響情報を読み取ることで再生するんです。ただまだ試作なんで納得のいく音が出ないのが難点なんですけれども、たとえば外部から録音した音だったらほとんど実際の音と遜色なく再生できるんですよ、でもってイヤホンのところに突っ込んで、ただコントローラーをどうしようかと思ったんですけれど、コントローラーをこうして襟のところにくっつけられるようにしたんです。そうするとほら、コードの長さは巻き取りで調節しできるようにすると邪魔にならなくなると思いません?」
 俺も公亦も理解の範囲外だ。
 それでも胡綜は楽しそうにしゃべる。
「それでもです、たとえばMIDIとかで作った場合に、どうしてもまだ機械の音になるんです。それをどうにかできればパソコン一台でオーケストラが完璧にできるんです。それをフリーソフトでやろうというのが間違いなんでしょうかねえ」
 ため息をつくな胡綜。
 俺らにはわからないだけだ。
「デジタルの音って例えばどういうことだ」
 魯子敬副部長、楽しそうですね。
 胡綜も目が輝く。
「バイオリンやチェロの弦楽器と、フルートやトランペットの管楽器です!」
 ……。
 バイオリンとチェロとフルートとトランペットってのは全部ではないのかい?
「オルゴールとか打楽器はまったく問題はないんですよ、管弦楽の音がどうしてもMIDIで作るときにデジタル音になりますでしょう、あれが完璧にできればチップにもそのとおりの音でデジタル作成の音楽がコピーできると思うんです」
 わからねえ…。
「オーケストラの曲をPCで編集すると、どうしても安っぽいデジタル音しか出ないじゃないですか、あれって音をもうちょっとどうにかしたいなと思って。あ、ピチカートとかの短いところは問題はないんです。どうにか聞けますから。だから問題は長音なんですよね。長音がデジタルじゃ味気ないと思いませんか?」
 ……イヤホンの話ではなかったのか?
 だからわからないんだって。
 手元に持ったままの将棋のこまを放り投げて遊ぶ。
 リズムをつけて、小さく投げてから大きく投げて。
 からからという音がする。
 公亦がこまを片付けている。
「あれ、もう時間か公亦?」
 こまを片付けながら公亦がははと苦笑い。
 こいつ、逃げる気か。
 俺もとんずらするか。
「すみません、副部長、胡君、もうそろそろ休憩時間が終わるので先に戻ります」
 にこりと笑う。
 なんで今日はついてないんだ。
 昼に食うはずだった彼女の弁当は食いっぱぐれ。興覇につかまってさんざっぱら聞いた話は奴ののろけ。勝てるはずだった公亦との勝負は中途半端に終わり。来週末の雨花台の花火まで彼女とはシフトが合わない。
 ついていない今日が早く終わるように、今日は早く寝よう!

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