春秋時代
〜紀元前中国の輝かしい覇王の時代と
(介子嘉の好みに偏りまくった)それを飾る主な人々〜
***********鄭、齊、晉以外に人が出てこないのはなぜだ?!************
祭仲 | 最中でもなければ蔡仲でもない。 鄭の荘公につかえた。祭足とも呼ばれるらしい。祭仲にしろ祭足にしろ、日本語で読むと笑える名前だ。 荘公の参謀役と言うべき人物で周王を手玉に取ったが、惜しむらく荘公一代の臣だった。 |
齊桓公 | 管仲をディレクターに、春秋最初の覇王になった。 覇王になったきっかけは自分を暗殺しようとした管仲を寛大に自分の横に侍らせたこと。 その裏には桓公の守役だった鮑叔が管仲の友人だったという現実が…。 |
管仲 | 変換すると真っ先に「寒中」になる。 齊桓公の臣で、桓公を春秋最初の覇王に仕立て上げた名ディレクター。 齊の全盛期の宰相であったが、その後齊は覇権をなくす。 |
鮑叔 | 管鮑の交わり。この一言に尽きる。 友人思い。 苗字を出そうと思ったら「アワビ」と入力するほうが「ホウ」よりも速い。 |
晉恭太子 | 申生と呼ばれる。 個人的にかなり好き。齊桓公の孫で、晉獻公の息子。 後に覇王となる晉文公(姫重耳)の兄弟。 重耳の兄であるという説もある、恭太子の生母が齊桓公の娘であるとすると、重耳の弟になるはず。と思っていたら、生母は晉獻公の父の妻だった。 新城で自殺した。 |
狐突 | 道端で申生の幽霊に出会ってしまった。 それだけの記録のために一説のメインとして史記に登場した。 |
晉文公 | 恭太子の兄(?弟?断定不可能)の重耳。 19年の放浪の末晉公として即位する。 重耳が即位したときにはすでに申生は死んでいる。春秋時代二代目の覇王。 ここから覇権の掌握者は晉となる。 |
趙衰 | 重耳の放浪に19年間臣下として付き合った。 重耳が晉公として即位してからは晉の重役となり、後の趙王朝への栄光の道を勝ち取った。 |
介子推 | 「晉公子重耳ご一行」の一員。 この「晉公子重耳ご一行」というのが、実は亡命旅行者なので、貧乏トラベラーズだった。 貧乏ここに極まれり、というときに自分のモモ肉を裂いて重耳を養ったそうである。 もちろん中国の話なので、話半分にしておくと、介子推は自分のかき集めた食料すべてで重耳を食わせていたということ。 しかし重耳には忘れ去られて「重耳さまご一行」の重要人物のうちでただ一人褒美をもらえなかった。 それで誰かが上奏したけれども、重耳が彼に褒美を与えようとしたところ「ねだったみたいでみっともない」と言って山ごもりしてしまった。 何とかして介子推を引きずり出そうとした重耳は山を燻ったそうである。 結局介子推はスモークになった。悲惨…。 |
趙盾 | 趙衰の息子 何事につけ寛大でやさしい。寛大と言うとすごくいい響きだが、家に無頓着かもしれない。 超がつく真面目で、夜が明ける頃にはもう朝議の準備を整えていたという。 おかげで暗殺者に寝込みを襲われそうになるという危機も回避し、幸せに(?)老衰で死亡。 |
趙朔 | 趙盾の息子。 趙盾が死んでから10年ほどで死んでいる。 理由は「趙家私邸の乱」と呼ばれるお家騒動。 趙盾を嫌った奸臣屠岸賈が、趙盾死後趙朔を嫌って趙家邸を襲撃、その乱で殺される。 |
趙穿 | よくわからない人。 晉公(どうやら霊公の一代前の公)の娘婿で、霊公に寵愛されていて、豪快で、後に霊公を弑した。 正々堂々というのが好き。 |
晏子 | 齊の宰相。 平安時代の女性に同じ名前の人がいたような気がする。 小さい身体に壮大な器量を埋め込んでいる。 「晏子三諫」と言えば有名な話で、晏子は齊景公の挙措を注意し、景公もそれに素直に頷くものの、鳥頭の景公は三歩を歩くと諫められたことすら忘れてしまう。 その景公を晏子は懲りずに諌め続け、景公も懲りずに注意され続けたという話。 元祖「のび太とドラえもん」である。 |
齊景公 | 晏子の主君のうち、もっとも聞き分けがよかった。 ただし鳥頭なので、三歩目には注意されたことが何だったのか忘れてしまう。 それは極端な表現にしておいて、以前晏子に怒られたことに、気はつけるのだがたまに粗相するのが見つかってまた晏子に怒られるということを繰り返す。 仲のよい主従である。 |
趙武 | 趙朔の息子。 ちょうど晏子と同じぐらいの年代に生きている。 父親が殺された年に生まれ、生まれたばかりの趙武大捜索を敢行した屠岸賈の目から母のスカートの中に隠されて生き延びた。 実父の他、育ての親が二人ほどいる。 |
程嬰& 公孫杵臼 |
趙武の育ての親二人。 程のちびに公孫きねうす。 覚えやすい変な名前の二人だが、なんでこんな名前なのかは考えるのも不毛なので考えない。 趙家から脱出した趙朔の妻が趙武を産むと、趙武を生かすために色々と策略を練って屠岸賈の裏をかきまくった。 ただし公孫杵臼は趙武の身代わりの赤ん坊とともに、屠岸賈に惨殺され、その後程嬰が趙武を育てあげた。 主人(友人?)への壮絶な忠誠である。 |
趙家傍流 ご一族さま |
趙の分家脈。 他人が「あっ」と驚くようなことをする人が多い。 例えば趙穿、霊公を弑してしまった。 例えば趙朔の兄弟、軍が出ていないのに黄河を渡ってしまった。 あまりいいところで「あっ」と言われないのが特徴。 ついでに三国志の趙雲が趙家一族の末裔だとしたら、性格的に分家の末裔の可能性のほうが高い気がする。 |
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