晴天に雁は連なる


 孫策の死去という一報を、魯肅は聞いた。
 周瑜はすでに、孫策の元へ発ったのだろうと魯肅は見当をつけた。
 孫策と言う男に魯肅が会ったのは、孫策が周瑜の幼馴染であったからだった。
 あっけらかんとした、不遜な男だという印象がある。
 しかし覇気は並ではなかった。
 周瑜のように抜きん出た長身の持ち主ではなかったが、がっしりとした体躯で馬を自在に操る姿が、孫策が将軍の器であることを知らしめる。
 独りよがりの無いあっさりとした性格の持ち主で、若くしながらも父譲りの武人たちを束ねてきた貫禄が孫策に威厳を持たせていた。
 周瑜がその友人を誇りにしていることは傍目にもよくわかった。
 もしもと魯肅は考えたことがある。
 周瑜が本当に、孫策を押し立てるのであれば、自分は応援してやろうと。
 実力で盧江の周家の後ろ盾になろうなどとは思えないが、貴族の勢力が名ばかりになりつつある時代に、周家の名声に魯家の経済力が後ろ盾になれば、孫家の勢力が江南でかなりの勢力にのし上げられるだろうことは、孫策を中心にするのであれば夢物語ではないとさえ魯肅は考えた。
「よろしければ、私が経済力の後押しをする」
 魯肅の申し出を、周瑜は二つ返事で受けた。
 魯肅の実家である魯家は、経済力では周瑜の実家である盧江周家を凌ぐ勢いだと周瑜は見ていた。
 実際、後漢の政治基盤が崩れ始めてからは、周家の勢いも芳しくない。
 名を持つ周瑜、実力を持つ魯肅、覇気を持つ孫策。
 二十代も前半の彼らは、崩壊寸前の積み木のような国を立て直そうと言う青年たちではなかった。むしろ今までの国が崩壊するであろうということに、期待さえ持っていたのである。腐敗しきった国の崩壊は、決して自分たちにとって害のあることではない、改革を実行するために必要なことだった。ただ彼らが普通の人間と違っていたのは、その改革をするのは自分たちだと知っていたことである。すでにそのために勢力を伸ばしてきた袁紹や曹操と並んで立とうという意思を、周瑜も魯肅も持っていた。
 だからこそ、そのための頭目が必要だった。
 それが、彼らにとっては孫策であった。
 だからこそ孫策の死去は、魯肅にとって訃報であった。
 頭目がいなくなったかとため息をついて、魯肅は馬車を用意させた。
「孫家へおいでですか」
 官家(執事)である老李の声に、魯肅は軽く頷く。
 お若いのにお気の毒なことでしたと言う老李の声は、あまり失望を含むものではない。
 孫策という人間が、どのような男であったか、実際にあの男と話しをしたことがなければ確かに心から死を悼むことはできまいと魯肅は柔らかい微笑を、少し淋しげに浮かべていた。
 孫家へ到着すると、中庭に続く階段のそばには最近魯肅が気にかけている呂蒙と言う青年が悔しげに唇をかみしめて草をむしっていた。
 一掴み草をむしっては憤りとともに投げ捨てるような仕種に、魯肅は嘆息した。
 周瑜からの文では、まだ少年のような面影を残した青年は、孫策の横にいながら凶矢をさえぎることができなかったのだという。
 不可抗力だと魯肅は呂蒙をなだめようとした。
 無我夢中に自分を責める青年は、死んだ青年よりも傷ついて見えたものだ。
 そうして魯肅は、青年に告げた。
「北へ行こうと考えている」
 赤くはれたような目で、困ったような顔をして呂蒙は魯肅を見上げた。
「子敬兄」
 聞きなれた声の主が、目で水亭の方へと魯肅をうながした。
 声の主である周瑜の横について、魯肅は自分の口から出た言葉を自分で繰り返した。
 北へ。
 時折考えたことである。
 孫策は危うさがある。
 自暴自棄になろうというような脆い危うさではなく、自分を過信しすぎるという、愚かさにも似た危うさだった。
 孫策が駒でなくなったら、あるいは曹操であれば自分の理想の国を作るための強力な実力の持ち主であろうと魯肅自身考えていたのである。
 それからしばらく、中庭を歩いて周瑜と魯肅は取りとめもない話をした。
「公瑾弟は張良になるつもりだったか」
 魯肅がつぶやいた言葉に、周瑜は足を止めた。
 張良とは、前漢の高祖と言われる劉邦に仕えた謀臣である。
「そう、私は張良になりたい」
 親友が死んだと言うのに、周瑜という男は微笑する。
 北へ行くとおっしゃいましたねと、逆に周瑜に水を向けられて魯肅は苦笑いを返した。
 一つ大きく呼吸をした周瑜が口を開き、魯肅は唖然と友人を見つめてしまった。
「虞美人は項羽を失ったが、張良は劉邦を得た」
 風が、新緑を揺らす。
 虞美人が誰を指すとは言わないが、張良になりたかったかと問いかけた魯肅に、張良は劉邦を得たと周瑜が返してきたことが、穏やかな意味ではないことは確かだった。
「子敬兄、劉邦の下には張良と韓信がいる。蕭何は劉邦に味方するかね」
 魯肅を包み込む緑と花の香りを一緒に含んだ空気は、初夏のきらきらしい太陽のせいだろうか、目の前のあでやかな男をさらに鮮やかに見せる。
「鄭の祭仲は、荘公を失ったかと思っていたが」
 周瑜は微笑んだ。
「祭仲はまだ荘公を失ってはいないし、劉邦は蕭何を得ていない」
 周瑜の言葉に魯肅は空を見上げた。
 真っ青に晴れ渡る空、抜けるような青空とはこのような蒼を言うのだろうかと魯肅はふいに意味もなく思った。
「劉邦は蕭何に何を求める。蕭何は後々反逆者になった男だ」
 くっくっと周瑜が笑った。
「劉邦は張良がおらねば皇帝にはならなかっただろうが、蕭何がいなくても皇帝にはなれなかっただろうな」
 よくそこまで割り切れるとつぶやいた魯肅に、周瑜は淋しげに微笑した。
 最高の親友だったと周瑜は言った。
「だが子敬兄、最高の親友は親友。最高の友人が最高の主君であるとは限らん。それに最上の将軍が最高の皇帝であるわけでもない。項羽は最高の将軍だったかもしれないが皇帝にはなれなかった。将軍に求められるものは皇帝に求められるものではないし、皇帝に求めることは将軍に求めるものではない。この軍にとっての劉邦の時代はこれから。そのまえに蕭何に逃げられては困るのだ」
 周瑜が花壇を通り過ぎると、その裙が淡い紅の牡丹の花びらをふわりと揺らした。
 魯肅の裙も、同じように紅紫がかった牡丹の花を揺らす。
 雲のない空。
「逃げようとは思うな、子敬兄。私はすでに自分の計画をあなたが後押ししてくれると思って安心しているのだから」
 勝手な言い草だと魯肅は周瑜に向かって、呆れたような仕種をして見せた。
 だが周瑜が自分を頼ってくれているということを、どこか自分が喜んだことも、魯肅は知っていた。

 魯肅が正式に孫家に従属することを決めたのは、その少し後のことである。
 兄の後継に将軍となって、孫権は人材を各地に募集した。
 その募集に応じて来た男たちの中に、魯肅が混じっていたのである。
 そうして周瑜は、自分の死の間際になって、後継の総帥として魯肅を推挙した。
 必ず役に立つから登用するようにと、将軍になったばかりの孫権に魯肅を紹介し、更には自分亡き後軍の統帥を彼に任せよと推挙するのである。
 周瑜がいかに魯肅という男を信頼していたかが伺える。
 咳き込んで、魯肅は孫権からの信を広げた。
 孫権という男を主人としてから何年が経ったか、短いようだったが、実は長かったのかもしれないと、何気なく思った。
 見慣れた字は、荊州を制圧せよという催促が書かれていた。
 横では、少年の面影もなくなり、落ち着いた風貌を見せるようになった呂蒙が疲れたような魯肅を不安げに気にしていた。
 その数日前のことだろうか、呂蒙は魯肅の前で見事な戦略図を展開して見せた。
 これならば、どれほどの危地に立とうと呂蒙は完全に軍を統率できるだろうと、魯肅は安堵した。
 魯肅と言う男は、決して先陣を切って走り出すような男ではなかった。時間をかけて検討してから初めて動くという男である。だがそこには、熟考された術策の限りが尽くされている。魯肅のような深謀型の将軍は東呉では他にあまりいない。春秋時代の将軍たちの中、特に辣腕と言うべき政治手腕を誇る大夫たちに見られる型の将軍であった。
 魯肅が全軍の統帥権を掌握している間、東呉は目立った対外的な軍事行動を起こさなかった。大軍を投じての魏との対戦であったり、蜀との領土争いを大々的に行わなかったということである。孫権は魯肅に対して蜀の領土となっている荊州の一部を武力制圧することを望んだが、それも魯肅はしなかった。
 血気にはやる将軍たちは言うまでもなく魯肅を弱腰扱いにした。
 腰が引けたかと、将軍たちが笑っていることだろうと魯肅は自嘲するような笑いすら浮かべた。
「だが勝つのは私だ」
 ぽつりとつぶやいた魯肅に、呂蒙は何か冷たいものを感じた。
「子明、思ったようにやれ。幼い頃おまえが思ったようにすれば、人は関羽ではなくおまえにつくだろう。武力で勝つことはたやすいが、それは最低の勝ちだ。人に慕われたものが本当の勝ちを得た人間だ。ただし情に流されてはならん、悪戯に情に流されたものは破滅するのが常だ」
 あまり自分に時間は残されていないと魯肅は感じていたのだろうか。
 長くはない生涯の最後の花を、彼は飾ろうとはしなかった。
 彼が軍事力をあてにしたのは、西暦208年の赤壁の役が最初で最後だった。
 統帥権を持ちながら、魯肅と言う男は、死の間際にも荊州の土地を武力では征圧しようとしなかったのである。
 自分の後継となる呂蒙に統帥権を得た初めての花を咲かせさせようとでも思ったか、本当に時機ではないと心得ていたか、その両方であろうか。
 穏和な男が強硬派に同調することは、208年以前も、209年以降もなかった。
 ただ一度、あざやかにあでやかに花を咲かせたのである。
 雪を忍ぶ、竹のような男であったのだろう。
 真っ青な空には、一連の雁が踊っているように見えた。
「人の世間なんぞと言うものは、小さいものだな」
 魯肅の死後、東呉は再び武力による対外勢力への対抗を始める。
 後にも先にも、魯肅と言う男は東呉には珍しい深謀遠慮の名政治家であった。

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送