孫策周瑜の「禁じられた遊び」


 その日孫堅は久しぶりの家庭で仕方なしという様相ではあったが、夜は家族サービスをすることにした。
 なぜなら呉夫人の機嫌が悪いからである。
 このところ孫堅が程普や韓当ら戦仲間とばかりつるんでいることで、せっかく帰ってきた夫となかなか家族の時間を持てないことに呉夫人は不満なのだ。
「もうすぐ夕飯ができてきますから、阿策を呼んできてくださいな。周の二小爺も一緒でしょうから一緒に夕飯をいかがと誘っていらしたらよろしいでしょう」
 呉夫人がにこりと笑う。
 これは「お願い」という名目ではあるが「お願い」ではない。
 「お願い」という名を借りた命令であることを孫堅は知っている。
 孫家最高の権力者はもちろんこの呉夫人なのである。
 しようがないとつぶやきながら孫堅は腰をあげた。
「ここお庭がけっこう広いのよ」
 呉夫人が手を頬に当てて首をかしげる。
 けっこう広いのよというのはどうかと思うぞと孫堅はうなだれた。
 ここは舒の周家の南邸である。
 借家ではあるが、それは広いという言葉で終わらせるのはどうだろうか。
 山ひとつは入る坪数の土地のどこが「けっこう」広いんだ、「とても」広いの間違いだろうが
 孫堅は内心にぶつぶつと文句を言いながら程普と韓当、黄蓋を呼んだ。
 山の中からふたりを探し出すのはなかなか難しい。
 おまけに周家の北邸までの土地をいれれば恐らく小さな山が二つほどは入るのではないだろうかと孫堅はうんざりした。
 あと声をあげる夫人に今度はなんだとうんざりした声で孫堅は聞き返した。
「向こうの山の方に遊びに行くと言ってました」
 駄目押しだった。
 向こうの山というのは周家が所有する山である。
 狩場だのなんだのという名目がついていたと思うが、それは「一応」周家の土地の一部である。
 別荘やら何やら、名家が山を所有するのは普通にあることだ。
 戦場で敵の大将を追いかけるに等しい労力で息子とその友人を探し出さなくてはならないとはなんともむなしい。
 程普がぽつりとつぶやいた。
「兵士もすこし動員しますか」
 それには男たちはそろって賛同した。
 孫策と周瑜
 このふたりのために孫軍は班を分けての大捜索をここに開始したのである。
 それぞれ十人ほどの男たちを率い、彼らはまず聴きこみからはじめた。

 そのころ、周家でも捜索隊が結成されていた。
 周瑜の従者は周家の部局(自衛軍のようなもの)の精鋭を選りすぐって前庭に集めた。
 その数はざっと三十人。
 五人ずつの班が六である。
「くれぐれも気をつけるんだぞ。二小爺は罠を仕掛けるのが得意だ。足元に気をつけて、前後はきちんと棍でかき分けて確かめてから進め」
 時々ある説明である。
 周家の部局の兵士たちはうなだれた。
 また二小爺は危険な遊びを
 誰もが思ったことを周瑜の従者である張盛も思った。
「前回の罠がまだ撤去しきれていないことにも気をつけるように」
 兵士が内心に青ざめたことを張盛は知っている。
 前回の罠
 それは下手に進むと脚に紐が絡んで引っ張られた反動で錘が外れた竹が飛んでくるという凶悪なものであった。もっとも長さが調整してあって、人に当たらないように前にある木で止まるようにはなっているのだが、ときによってそのストッパーが効いていないことがあるのである。
 その前にはどこかのゲリラのような落とし穴。
 これらを撤去する撤去隊は非常に危険な役割を担っている。
 そしてもうひとりの危険人物。
 凶悪な協力者、それは南邸の孫策である。
 悪ガキタッグはここにいたってチビゲリラと化していた。

 ぎゃあっと声がして程普は振りかえった。
 部下がひとり、網にかかって吊るされている。
「将軍、先にいってください!自分はあとから追いついていきます!」
 部下甲の言葉に程普はうなずくと先頭の兵士に行けと声をかけた。
 横の方でも悲鳴が聞こえてくる。
 ここは一体何なんだ
 悲鳴に気をとられた程普はあしを引っ掛けて転んだ。
 見ると足に結ばれた草が絡み付いている。
「くっそー!ちびゲリラの仕業か!」
 孫堅隊ではそのころ落とし穴の犠牲者が出ていた。
「将軍―!待ってください〜!」
 部下の情けない声に孫堅は落とし穴の中を覗いた。
 深いものではない。大人の腰ほどまでの浅いものだが、中に糸が放りこまれていてそれが足に絡み付くらしい。
「ええい!情けない!それでも黄巾討伐に出向いた兵士か!子供だましに引っかかりおって!」
 いや、情けないのは子供ふたりが作った罠に嵌っている自分たちである。
 韓当隊ではなぜか降ってきたガマガエルに混乱し、黄蓋隊では蛇との格闘がはじまった。
 生物兵器は孫策の武器である。

 そこだっと声がして周瑜は自分の兵を分散させた。
 兵といっても自軍の雑用数人である。
「山の中に誘い込め」
 周瑜は後ろにいる何人かに耳打ちした。
 叫んだ方は孫策で、こちらも数人の雑用係を従えている。
「包囲しろ」
 ミニミニ周軍とミニミニ孫軍のお遊びであるが、雑用の兵士はそれでも納得している。
 危険な戦争に狩り出されるよりはまだこちらの方が命を落とす危険性は少ないと思っているからである。
 しかし孫堅の兵士たちはこの罠に恐れおののいた。
 実践でこんなものが使われたらとんでもない。
 特にそれを実感したのは飛んでくる竹の攻撃に見まわれたあわれな韓当隊の兵士である。
 打身と擦り傷だらけになった兵士の中には、竹の攻撃を腹に食らってうずくまったものもいる。
 救世主はがさがさと草むらをかきわけてきた。
「これは、孫家の」
 周瑜の従者の声に、韓当は救いだとばかりにため息をついた。
「韓当です。小爺を探しているのですがとんでもないことになりましてな」
 周瑜の従者と周家の部局の兵士たちは顔を見合わせた。
 歴戦の将軍になにがあったのか。
 これですと青ざめた韓当が指差した先には竹が横向きに木に括り付けられている。
 横には孫家の兵士がうずくまっている。
 周家の兵士はうなだれた。
「まだ撤去しきれていなかったんですね」
 しょうがなく周瑜の従者はその紐を切って撤去させる。
「これはどうしましょうか」
「庭の植込みの生垣にでもしよう」
 それから周家の部局はさかさかと展開し、付近を徹底的に調べ上げる。
「ここにもあります」
 声にあきれた張盛は苦笑しながら韓当のほうを見た。
「さて、さっさとこの罠を撤去してゲリラの頭を捕獲しましょうか」
 韓当はあっけにとられた。
 ゲリラ戦を展開しているのはもちろん孫策と周瑜である。
 捕獲という言葉が不自然ではあるが、この場では一番似合っているように思われた。
「今月の罠は孫家の一小爺の罠のようですよ」
 張盛の言葉に韓当は首をかしげた。
「新しい罠がありませんから。今月はどんな罠が増えているのかと不安だったんですけれど、カエルの軍勢が来ましたからこれ以上の危険はないはずです」
 張盛が言いきる前に伝令の声がした。
「二小爺捕獲いたしましたー」
「二小爺捕獲しましたー!」
「二小爺捕獲―!」
 捕獲…
 新しい罠、カエルの軍勢に当たってしまった上に道を変えて竹の攻撃にあってしまった韓当はうなだれた。

 孫堅隊はそのころ程普隊と合流していた。
 二小爺捕獲の声に孫堅は程普をふりかえった。
「阿瑜が捕獲されたらしいぞ」
 楽しそうに笑う孫堅に、程普はまた疲れた表情でそのようですねと返した。
 程普隊の被害者は三人、孫堅隊では四人が負傷した。
 黄蓋隊では骨折をしたものがでた。
 凶悪な庭だ
 孫軍の将軍たちは思わざるを得ない。
 がさがさと草むらをかき分ける音に、孫堅は息子ではないかと期待したが、顔を覗かせたのは周家の罠撤去隊だった。
「孫将軍ですか、ご苦労様です」
 にこやかな撤去隊の隊長に、孫堅は笑い返したがご苦労様ですというよりもすでにご無事でなによりという域であると言い返したかった。
 前のほうで悲鳴がする。
「気をつけろ、小爺の罠がまだ残っているからな。落とし穴は見つけ次第埋めていけ。横をよく見ろ、掘り返した土は色が違うぞ」
 慣れている
「大体こうですか」
 程普のあきれた言葉に隊長は笑った。
「可愛いもんですよ、孫小爺がいらしてからうちの二小爺もよく外に出るようになりましたからいい傾向です。罠も多いようでいて実はそれほどありませんから。獣道沿いに点々とあるんですよ。ですからたまに見逃しているものがあってもひとつの道には大体一種類の罠なんです」
 孫堅と程普はがっくりとうなだれた。
「実戦に慣れている将軍方には子供のお遊び程度ですまされるんでしょうが、まだ私どもはそれほど怪我にも慣れていないのでときには骨折したり昏倒したりするものもおりますがね」
 それは実戦に慣れていても同じだと程普は思った。
 程普隊は一人が捻挫している。
「孫小爺捕獲しましたよー」
 道のほうから声が聞こえ、隊長は引き上げるぞーと声を張り上げた。
「一緒におりましょう、普通の道に出れば罠はありませんから」
 にっこりと笑った隊長に、孫堅は青ざめたままで笑い返した。
 程普は捻挫した男を撤去隊が撤去した竹ざおに布を括り付けて作った担架に乗せておろさせた。
 韓当隊は張盛とともに普通の道へと下りてきた。
 周瑜隊と孫策隊は周家の捜索隊を先導して下りた。
 孫堅はあたりを見まわした。
 一人足りない。

 そのころ黄蓋隊はぐるりと回って周家の北邸に出ていた。
「ここは北邸ですよね」
 首を捻りながら問う黄蓋に、周家の侍女はにこりと微笑んでそうですと返した。
「できれば薬をお借りしたいのですが」
 真っ青な顔で笑うしかない黄蓋に、侍女は微笑のままどうぞと中へ先導し、医師を呼んだ。
 医師は手馴れた様子で骨折を手当てし終えると侍女に向かって今日はこれだけかねと問いかけた。

 月に一度の孫策と周瑜の山越ごっこはこの月、普段以上の犠牲者を出して終わった。
 孫軍の将軍たちは、時に戦場よりもわけのわからない恐ろしさがある場所もあるということを思い出し、周家の兵士たちは撤去したものの処理に辟易した。
 この後、孫策と周瑜のふたりが呉夫人と周瑜の母という彼らが思うに世にも恐ろしいふたりに延々と何時間にも渡る説教をされたことは言うまでもなく、憤怒の形相の母に孫策は何度も平伏し、危ないことをと泣き出す母に周瑜は取りすがってごめんなさいと数十回繰り返す羽目になったのだった。
 ここにきてそれでも報われたのは孫堅である。
 彼は父の威厳を見せつけんばかりにふたりに説教をかまし、それこそ孫堅が慄くほどに機嫌の悪かった呉夫人にさすがと尊崇される機会を得、夜中には呉夫人手ずからの酌にありついたのであった。
 ただひとつ、その夜のチビゲリラの軍議を聞かなかったのが彼にとって、そして彼の信頼する三人の将軍たちの不幸である。
 なぜならその後、彼らはさらに増えたチビチビゲリラの一緒に遊べ攻撃に晒されたからだ。
 チビチビゲリラが孫策、孫権、孫翔、孫尚香、周瑜、孫瑜らであることは言うまでもない。程普はそのときばかりは孫堅の冥福を祈ろうと決めこんで、無関係を装ったのであった。もちろん程普もまた周瑜の標的になったことは疑いようもない。程普は周瑜のお気に入りなのだから。

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