桃花運好



 孫策はふてくされた顔で周瑜を見た。
「桃花運が悪かった?」
 周瑜の言葉に孫策が頷く。
 孫策・字を伯符。
 この男は東呉の一軍を束ねるガキ大将である。ガキ大将というのは、彼のしつけ役にも当たろうかという将軍・程普から得た称号である。そうして横にいる周瑜も、程将軍から悪ガキの称号を得た男だ。
 もっともガキ大将だの悪たれどもだの言われていたのも結婚前の話だが。
「親父の教訓は正しかった。どうせケツに敷かれる亭主なら、いいケツの女房の尻に敷かれなきゃあな」
 寝転がってぶつくさ言う友人を前に、周瑜はため息をついた。
 女がふたり寄ると思いがけず強いと周瑜がつぶやく。
 それは違うと孫策が言う。
「女がふたり寄ったんじゃなくて、女が三人寄っているんだろうが。おまえのところは正妻と喬家の娘だろう、そこにうちのが入る」
 はあと周瑜が頬杖をつく。
「なるほどなあ、女が三人寄れば男ふたりなどでは到底太刀打ちできんのか」
 ふんと孫策が鼻を鳴らす。
「そこにうちの妹が入って四人だ。太刀打ちどころの騒ぎではないぞ。弟どもがすっかりびびくってやがる。周兄が対抗できない女どもに自分たちが太刀打ちできるわけがないのだとさ」
 へっと周瑜が笑う。
「這一説、ニィ弟弟看我估計得太高了(ジュァイィシュォ、ニィディイディカンウォグゥジィデイタイガオラ:そりゃ高くみられたもんだ)」
 整った顔をほころばせてひとしきり笑うと、周瑜ははあとため息をついた。
「この次浮気したら三行半って言われちったよ」
 周瑜の気落ちした言葉に今度は孫策が、屈託のない笑顔を前回にして腹を抱えて笑った。
「三行半と言ったのはどっちだ?」
 興味津々の孫策に、周瑜は他人事だと思って笑っていやがると拳を振り上げてみせる。
 これで仲がいいのだ。
 だいたいおまえは、と孫策が始める。
「顔がよくて、頭がよくて、家柄がいい。だから女が無条件で向こうから寄ってくるんだな。これがおまえのいいところだ。おまえの横にいればおこぼれに預かることができる」
 周瑜がけらけらと笑う。
「次におまえだ伯符、おまえは性格がよく、面倒見がいい、だからおまえに寄ってくる女もだいたい気立てがいい。おまえの横にいれば気立てのいい女が隣に来てくれる。これがおまえの横にいていいところだな」
 孫策が大笑いする。
「それから公瑾、おまえのいいところは優しいところだ。どんな女にも優しくできる。それがおまえ好みの女ならなおさらだ」
 孫策の言葉へ周瑜が続ける。
「そのとおり、そうして伯符はしっかり者の女に甘えるのが意外と上手なんだ。だから女がつかまえて放さない」
 ふたりでけらけらと笑い、ぱったりと仰向けに転がった。
 そんな調子で構ってくる女の相手をいちいちするから、浮気だなんだと妻に突付かれるのだ。
「おい公瑾、おまえ前科があるから奥方に疑われるんだろうが」
 孫策に言われて周瑜はため息をついた。
 前科、それは勢い喬家の娘を連れて帰ったこと。
 そもそも貴族出身の周瑜の元には、叔父が手配した見合い話がごちゃごちゃと届けられていた。もちろん相手は名家旧家の類ばかりだ。叔父の面子を潰すわけにも行かず、周瑜はきちんとしたところの娘を妻にしている。そこへ喬家の娘を見つけてしまったのが運の尽きだった。
「奥方には二度と浮気はしませんと誓わされたんだろう?」
 孫策に聞かれて周瑜は当然だと答える。
 誓約書を書かせたのは奥方か、小喬かと聞かれ、周瑜はしばらく黙り込んだ。
「奥方も小喬も大変だ。おまえみたいな出来物を女が放っておくわけがないし」
 腕枕で寝転がって、空を眺めながら他人事のように言う孫策を、周瑜が寝転がったままわき腹を蹴り飛ばした。
 跳ね起きてわき腹を押さえてさすると、孫策はけっと悪態をつく。
「まったく、相も変わらず顔に似合わず乱暴な奴だな」
 身体を反転させて孫策に背中を向けると、周瑜はふんと鼻を鳴らして見せた。
 背中を見せている周瑜をしばらく眺めて、孫策は周瑜の背中を指でなぞる。
 腰骨の辺りからするすると指でなぞられて、首筋に達したところで寝転がっていた周瑜が悲鳴を上げて飛び起きた。
「何しやがる、気色悪いな!」
「先に蹴飛ばしたのはおまえだ。俺は蹴り飛ばすほど凶悪じゃないぞ」
 きっちりと言い返されて気まずそうに周瑜は頬をさすった。
 それからふと真面目な顔に戻って孫策に声をかける。
「おい伯符、おまえも一度誓約書を書いてみたらどうだ」
 孫策が奇妙な顔で周瑜をまじまじと見つめた。
「なんの誓約書だ?」
 風が通り抜けて、周瑜が目を眇める。
 桃の花びらがどこからか舞ってくる。
「公瑾、おまえ俺になんの誓約書を書かせたいんだ?」
 にこりと笑って周瑜が指を立てて唇に当てて見せた。
「弱いものいじめをしませんという誓約書だな」
 真面目な顔で聞いていた孫策が大笑いして周瑜に目を向けた。周瑜も大笑いしている。
「公瑾よ、公瑾、それはおまえが書くべきだ、俺はいつもおまえにいじめられているんだからな」
 それは逆だあと周瑜が腹を抱えて笑う。
 老爺と呼ぶ柔らかい声がして、孫策と周瑜は振り返り、ふたりの顔から同時に笑いが引いた。
 座り込んでいた周瑜に上から女が柔らかく抱きつく。
 孫策が隣に座り込んだ女を横目でちらりと眺める。
 周瑜の横には女がもう一人。
「老爺雖忙、得吾二人作妻、焉不足爲歓?」
 ひとりが周瑜に問いかけると、もうひとりが「亦足爲歓」と言う。
 これには孫策が笑い出した。
 周瑜が決まり悪そうに、爆笑する孫策を睨みつけた。
「お忙しいとはいえ、私たちふたりを妻にして、なんの不満がございましょう?」
「不満があるわけございませんでしょう」
 この言葉に覚えのない周瑜ではない。
 なにしろ同じことを言ったのは自分だ。
 喬家のふたりを見つけたところで、孫策に言ったのだ。
「喬公二女雖流離、得吾二人作壻、亦足爲歓」
 喬家のふたりは居所が定まらぬとはいえ吾らふたりを婿にしては不満はなかろうと。
 自分の言葉をそのまま返されておもしろい男はいない。
 孫策がちらりと周瑜を見る。
 今度こそ孫策は呆れ顔で周瑜に言った。
「俺の桃花運も悪かったと思ったが、おまえよりはよかったのかもしれないな」
 ふんとふてくされた周瑜が、孫策の鼻を突付く。
「桃花運が悪かったと思ってくれるんだったらおまえ、せめてその他の運はよかったなと言われるようにしてくれい」
 周瑜の言い草に孫策が笑った。
 その実、ふたりの桃花運がよかったのかどうか、それは後世の人間だけが知っている。
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