梁公徳の日々



 この甘興覇見るに、小梁と子明が呼ぶ青年、この梁公徳はなかなか不憫な奴だと思う。
 飲んだくれて、子明とふたりで転がっていると、苦労するのは大体いつも梁公徳だ。
 昨日の朝もそうだった。
 公徳はさまざまな工夫をして子明を起こそうとする。
 俺はといえばだ、公徳は俺を丁寧に揺すり起こして、こう言った。
「甘将軍、起きないと呂将軍に蹴っ飛ばされますのでご注意ください」
 子明に蹴っ飛ばされると知って寝転がっている俺ではない。
 一言で俺は飛び起きた。
 そういえば俺は牀にもぐり込んでいたはずだが、いつの間に土間に下りたのだろうか。
「将軍、お起きください。もう日が昇りましたよ」
 子明は、飲んだ翌日は寝起きが悪い。それは公徳も承知なのだろう。
「将軍、また牀にもぐるときに甘将軍を蹴っ飛ばして床に転がしたでしょう」
 なるほど、俺はそれで床に転がっていたのか。子明の野郎。
 公徳は次に、子明の毛布を剥ぎにかかる。
「将軍、軍議の時間に遅れますよ」
 毛布を放さない子明に、公徳がため息をつく。
 そらあ、相手が上司じゃあ殴れないからなあ。
 しかしこいつは、子明もなかなか見ものだ。意地でも毛布を放そうとしねえ。
「将軍、毛布を放してください」
 うむ、と子明がやっと口を開いた。
「俺は風邪をひいてるんだから、もう少し寝かせろ」
 こりゃ、公徳も苦労するよなあ。
 呆れた公徳が口をぱくぱくさせている。まるで窒息しそうな金魚じゃねえか。
「将軍!そんなこと言ってると長江に放り出しますよ!」
 なんだか、どこかで見るようなというか、どこかで知っているというか、こういう光景は、確かよくあるよなあ。なんだっけ。
「甘将軍は将軍のせいで一晩毛布無しで転がっていたんですよ!」
 …どおりで寒かったわけだ。
「そら、興覇にはすまんかった」
 と、言ったところで、子明には起きる気がないらしい。
「なにがすまないんですか、私に言っても意味ないでしょうが」
 公徳も、よく粘るよ。
「興覇は死なないから大丈夫だ」
 この野郎。
「朝ごはん食べ損ないますよ。将軍の立派な朝ごはんはみんなで分けて、食べてしまいますからね」
 強力な最後通牒だ。
 くるりと方向転換して、扉をわざと大きな音でばったんと開ける。
 毛布が跳ね上がり、子明が飛び起きる。
 あんまり公績と変わんねえなあ、こいつ。
「子明、俺は何しても死なねえってか?」
 目の前にしゃがみこんでわざわざ言ってみると、子明があからさまに不信人物を見るような目で俺を眺める。
「小梁、興覇はいつ来たんだ?」
 昨日からここにいるんだよ。
 かわいそうな公徳が、振り返って子明を睨みつける。
「甘将軍は昨日の夜からいらっしゃいました。甘将軍が牀にもぐりこんだのを、将軍が寝るときに蹴落としてご自分が牀に這い上がったのでしょう。私が起こしに来たとき、将軍は牀の上で毛布を引っかぶってご就寝、甘将軍は床に毛布も被らず転がっておりましたよ」
 うわあ、なんて悲惨なんだ、俺。
「そうか、興覇には悪いことしたな」
 子明おまえ、全然そう思っていないだろう。
 公徳が子明に疑惑の目を向ける。
「将軍、あなたは前回もそう言いました」
 前回…ということは、俺は毎回、子明に牀から蹴り落とされているということだろうか。
「そうだったか?」
 子明の言葉に公徳が頷く。
 しかし、こういう光景は、話にはよく聞くんだが。誰から聞いたんだ?
 ああ、そうか多分、周将軍から聞いたんだな、あれは。ぽんと手を叩いて、俺は思い出したことを言ってみた。
「結婚して五年ぐらい経っているけど、まだ倦怠期ではない夫婦みたいなのか」
 子明が疑問の目を俺に返してきて、公徳があからさまに嫌そうな目を俺に向けている。
「甘将軍、その具体例は一体なんですか?」
 そら当然、この光景を表現する具体例だ。
「いや、この間、周将軍と話しをしていて、なんでも奥方が冷たいという愚痴を聞かされたんだが、そのときに、子明と公徳みたいな状況が出てきたなあと思っただけだ」
 そうそう確かあのときは、初夜の後しばらくは同じ牀に転がっていても、目が覚めるとじゃれあっていたのに、今では出征のたびに、浮気だなんだと責められると愚痴られたんだな。
 なんで俺に言うんですかと聞いたら、愚痴を聞いてくれる魯子敬がいないから、俺の他に愚痴を聞いてくれる人がいないと言われた。
「待てよ、興覇。それは、俺と小梁のことを言ったのか?」
「おまえと梁公徳以外に、この部屋にいるのは俺とおまえか?それとも俺と梁公徳か?」
 いや、いくらなんでも子明と俺では、新婚ではないが倦怠期でもない夫婦のような状況にはならんだろうが。考えても見ろ、子明と俺では嫌すぎる。
「子明、陣中に世話女房がいてよかったなあ。俺の周りなんか、いつもの癖で叩き起こしに来るような男ばかりだぞ」
 俺は大笑いして見せた。



 世話女房。
 子明将軍の世話女房。
 それはいやだ。
 荷揚げをしながら仲間に言ったら、そいつはいい例えだと言われた。
 そうか、俺はみんなから、子明将軍の世話女房だと思われていたのか。報われねー。
「小梁」
 将軍から声がかかる。
「なんですか?」
 またどうせろくでもないことを聞かれるに違いない。
「昼飯はまだか?」
 なぜ将軍の女房でもないのに将軍の昼飯の世話をしなければならないのだろうか?
「腹が減ったなら、炊事係におやつをねだってください。それから将軍、はやく女房をもらってください」



 結婚もしていないのに、こんなところで世話女房をからかわれるとは。
 興覇の奴、面白がってるに決まってる。
 考えたら腹減った。朝飯少なかったもんなあ。
「小梁、昼飯の時間はまだか?」
 聞いた瞬間、小梁はいつもと同じ声で、いつもとは違う返事をした。
「昼はいつもと同じ時間です。腹が減ったなら私ではなく炊事係にオヤツをねだってください」
 …普段なら「炊事係に聞いてきましょう」とか言ってくれるのに、やはり興覇の世話女房が嫌だったんだろうなあ。
「将軍、はやく女房をもらってください」
 おもしろいことを言う。ひとつ小梁が気づいていないことを言ってやろう。
「俺が女房をもらったところで、女房は戦場には来ないからな」
 後で興覇に文句を言わなくては、俺の生活は不安定になる。こういう場合、やはり興覇にはこう言うべきだろうか?
 おまえのせいで俺と小梁は倦怠期だと。



 騎馬兵の剣に斬られた肩が熱い。
 戦から無事に帰れるように、毎日神様にお祈りしておいてあげるよ
 隣の鄭さんのお嬢さんは、今日も俺のために神様にお祈りしてくれているんだろうか。
「俺は死にたくない」
 言ってはみても、自分の耳にすら聞こえない。
「おい、大丈夫か!」
 大丈夫だと言おうとしても声が出ない。
 ああ、ダメだなって思うときというのは、あるもんだ。
 肩が痛いから、動かさないでくれ。
 俺がいなくなったら、一体誰が将軍を起こすだろう?
 一体誰が将軍の代筆をするのだろう?
 俺がいなくなったら、誰が、郷の母上の心配をするだろう?
 誰が、俺が死んだと、弟に伝えてくれるだろう?
 そうして梁儀は、公徳は、あなたの息子は、おまえの兄は、立派に生きて見せたと、誰か、言ってくれるだろうか?
「おまえ!歩けるか!」
 ありゃあ、将軍の声か。
「子範はどうだ!その隣は!」
 天に願う。
 将軍に、武運を。

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