勝負は当然クリスマス〜曹操・郭嘉の南下計画


「つまらない」
 秘書課にいて、文句を言っているのは曹魏COの郭嘉である。
 ぼけっと机に頬杖をついているバカを尻目に、秘書室長の荀ケはてきぱきと仕事をこなしている。
「明後日の11時半ですね、承りました。それでは…、そうですね、ご来社の折、よろしければ一階受付のものに名刺をいただけますでしょうか?はい…ええ、案内の者をすぐにお迎えに出させていただきます。…いえそれは…はい?それでしたら…ええ、必要なものをおっしゃっていただければこちらでご用意いたします。はい、それでは明後日の11時半に、お待ちしております、秘書課の荀文若と申します。よろしくお願いいたします。はい、失礼いたします」
 ガチャンと電話を置く音がして、バカは荀ケのほうをちらりと見た。
 郭嘉という男、頭はいいのだが、こうして頬杖をついている様子はバカにしか見えない。
「奉孝!明日の社長のスケジュール、きちんとできているんだろうな?ダブルブッキングはするなよ。それから、自分のデートの約束は社長のスケジュールの空き時間にやってくれ、頼むぞ」
 荀ケが管理しているのは会長の劉協のスケジュールである。社長である曹操のスケジュールはほとんど郭嘉が管理している。
「それで?さっきは何がつまらなかったんだ?」
 荀ケの問いかけに、待ってましたとばかりに郭嘉が飛び起きた。
 それをみた荀ケが怪訝そうにぴりぴりと神経を苛立たせるのを見て、企画戦略ブースから社長、会長あての資料を持ってきた荀攸が苦笑した。
「あれですよ、あれ!」
 郭嘉が指差した先には、女性秘書たちのフロアがガラス張りで見えている。
 ふーんと荀ケが、やはり怪訝そうな目つきのままで郭嘉を眺め回す。
「猛獣危険ということじゃないか?おまえみたいな男が秘書課をうろうろしているんだ、女性秘書と男性秘書でフロアでも分けないことには、全部毒牙にかかるとでも社長が判断したのだろうよ」
 ふんっと鼻を鳴らしてため息をつく荀ケに、郭嘉はぶんぶんと手を振って違うといって見せている。荀攸が苦笑しながら郭嘉のところへ、曹操宛の書類をどさっと置く。
 お願いしますと荀攸に言われて、にこりと笑顔で了解ですと返事をしてから郭嘉はこそこそと荀ケの横に張り付いて耳打ちする。
「そりゃ別にいいんです、ガラス張りだから目の保養はできるし」
 それじゃあなんだと言いたげな荀ケに、郭嘉はちらりとガラスの向こうの女性秘書たちを見てから指でつつくようにしてみせた。
「夏の間は目の覚めるようなミニスカートでいた子が、冬になってからこっち、スーツはズボンばかりなんですよう」
 いかにも悲壮な声で言い、自分の膝に泣きついている郭嘉の、郭嘉らしい意見だと荀ケは、呆れて言葉も出る余裕がなくなりそうな自分を発見した。
 企画戦略部のブースへ戻ろうとする荀攸と入れ替わりに入ってきて、郭嘉らしいせりふを聞いた陳羣が、笑いながら郭嘉の席に広報部の資料を置いて声をかける。
「それだったら南の方にでも転勤したらいいじゃないか、香港なんか今ぐらいの時期でも15度ぐらいあるらしいぞ」
 からかい半分の陳羣の言葉に、郭嘉はがばっと跳ね起きた。
「よし、俺は南にいくぞ」
 ……
「待て!俺は冗談で言ったんだぞ、どうしてそこから本気で南へ行く話しになるんだ!」
 焦る陳羣、呆れる荀ケ、荷物をまとめ始める郭嘉。
 慌てる陳羣に、舅の荀ケが余計なことをと言わんばかりの目を向ける。視線に気がついたとたん、陳羣は気まずそうに資料で顔を覆った。
「バカ焚き付けやがったって、言いたいんでしょ?お舅さん」
 首をすくめる陳羣に、荀ケは言わずもがなと鼻を鳴らしてからくるりと在らぬほうを向いて椅子に座ってしまった。

 社長の独裁会社と言われる曹魏COで、企画戦略ブースの荀攸と程cは唸っていた。
 企画戦略の仕事、それは別にマーケティング戦略を立てるだけではない。その上で障壁があれば、障壁を解消することも含まれる。はずである。
 程cが、無謀だと言うと、荀攸が一か八かと言う。
「どちらにしても嫌な勝負だな」
 荀攸が匙を投げる。
「おっしゃるとおり」
 程cがため息をつく。
 曹操の南方進出計画を報じた社内報が、その原因であった。
「荊州は確かに、シェアをとることができれば売れるでしょうがね、しかし荊州の自動車系統のシェアは基盤が固い。あの辺の中小企業はほとんど荊州グループが抱え込んでますから、現地生産は難しい。船舶は、うちにノウハウがありませんから手がでないし、江東ICが一日の長を得ている。モータース部門と、船舶部門、どちらにしても荊州は落としにくいでしょうに」
 程cが、とうとう社内報を放り出し、ついでに脚も投げ出した。
 荀攸もその様子を眺めながら、背もたれに背を預けて腕を組んだ。
「まったく、荊州グループか江東IC、どちらかと合弁会社でも作れればいいが、その計画も立てる前に南方進出を宣言されるとは思わなかった」
 家族企業の荊州グループの牙城を落とすのは難しいと、ふたりとも覚悟している。
 回された社内報を見て、ため息をついたもののあまり慌てていないのは、荊州グループの傘下にある中小企業、株式会社蜀都から引き抜かれてきた徐庶という男だ。
「あんた落ち着いてるんだな」
 やはり手元の社内報を見ながら、きょとんとした表情で徐庶を眺めている男は、蒋幹という。このふたりが企画戦略部にいるのは、曹魏COの七不思議である。
「別に、慌てたからといって何があるわけでもない。私は荊州進出に関しては何も手出ししないことに決めた」
 徐庶の言葉に、蒋幹はふーんと口を曲げて見せた。荊州グループへの義理立てねと言う蒋幹を、程cがちらりと睨んでから徐庶を見る。徐庶を引き抜いてきたのは自分だ。生来自分のしたことに対して引け目を負うような男ではないが、過去を悔やんで仕事をしないと言うのではたまらない。
「やることだけはやってもらうからな」
 言う程cに、徐庶は食わなきゃならんから、前の会社に不利にならないことぐらいはやるよと頷く。
 変なコンビだなあと、つくづく蒋幹は思う。
「荊州に伝手はないが、江東ならちょっとはどうにかなるかもなあ」
 つぶやく蒋幹に、荀攸がすばやく目を上げた。
「蒋、江東に伝手があるのか?」
 友達がひとり、江東に行きましたよと蒋幹が答える。
「よし、荊州は私と程さん、それから徐さんにも協力してもらいます。とりあえず曹魏に来たからには、好き嫌いなしでうちの有利になるように、情報提供ぐらいはしてもらうことにしましょう。江東は、蒋に敵情視察ぐらいはやらせる。そんなところか。社長とくりゃ、どうにか冬中に荊州を押さえる気でいるらしい。どうにかするのが、企画戦略部の仕事ですからな、それでは皆さん、余裕を持ってやりましょう」
 にこりと笑った荀攸だが、実は心拍数が上がっている。早々に手を打たなければならないと決めてから、この男はやることが早い。さっさと部下に仕事を振り分けると、自分は秘書室にいる荀ケのところへと足を向けた。

 エレベーターに乗り込んで荀攸は一息つく。曹魏COのエレベーターは、奥行きを見せるためにガラス張りにしてある。吹き抜けのフロア1Fの屋内ガーデンの緑は、雪の日でも熱帯にいるような演出になっている。鮮やかな緑と赤の対比が、建物の外は雪が降っているということを忘れさせる。そこで荀攸は、先だって秘書室で見た男が屋内ガーデンを横切ってゆくのを発見した。
「文若叔父、先ほど郭君が屋内ガーデンを横切っていったが」
 落ち着いた様子の荀攸を眺め、あの郭嘉とでも親子ほどの年の差があると、何らかの割りきりができるのだろうかと荀ケは思いながら顔を上げた。
 喜色満面ならぬ怒気満面の荀ケに、荀攸は思わず足を止めた。
 荀ケという年下の叔父の相手を長年続けてきた「親戚のお兄さん」荀攸は、荀ケの性格をよく知っていた。怒気も露な荀ケの機嫌を逆なですると、うまくいくことも失敗する。
「あんの野郎っ!俺は、デートは空き時間にしろと言った!それは確かだが、旅行はいつでもいいとも言っていないんだ!」
 ちらりと女性秘書たちのほうへ目を向けると、荀攸と目の合った女性秘書が苦笑しながらボードを指差し、言われるままにボードを見た荀攸の行動が一瞬停止した。
 郭奉孝:有給休暇申請。
 ……
「あのやろーっ!社長秘書が有給だとー?!これから戦略部総出の戦略会議だというに、社長のアポイントメントも取れないじゃないか、バカ者が!文若叔父、どういうしつけをしたんだ!追い込みの時期に有給なぞをとるようなバカがおるか!部下のしつけは上司がきちんとせんか!」
 怒気を孕んでいた荀ケの表情が硬くなった。
 親戚関係としては、荀ケが叔父で荀攸が甥という状態だが、年功序列では荀攸のほうが上である。荀ケにとって、幼い頃から「親戚の優しいお兄さん」だった荀攸が、自分の兄の子供だと知ったときにはショックだった。この「優しいお兄さん」の荀攸が怒ると、兄よりも恐いということを荀ケは身をもって知っている。
 郭嘉への、自分の怒りもどこへやら、荀ケの心配はいつの間にか自分に降ってくるであろう荀攸の雷へと変わっていた。
「ここからが正念場なのだ、社長ストッパーがどこかへ消えたら、それこそ大損して終わるんだぞ、この小僧め!」
 荀攸の怒りは、しばらく収まりそうにないのであった。
 この事件を知った他社戦略部員一同が、ご愁傷様ですと手を合わせたのは後日談である。

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