雍煕寺の?代目主人である周虎さん
あまり有名ではありませんが、どんな人?
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蘇州景徳路付近の南宋時代の持ち主。 三国時代に周瑜が住まっていたことから、それまで蘇州景徳路付近は「周将軍巷」と呼ばれていたが、周虎が住まうようになってからは「周武状元巷」と呼ばれるようになった。 実際には将軍職引退後に蘇州へ住まうようになったとも言われる。 それにしても、周将軍巷に住まう人間は寡兵で戦う宿命なのでしょうか? 魏軍50万(実際には10万に満たないと思われるが)を3万で撃退する周瑜に、金軍を二千人足らずの兵で撃退する周虎。 二千人足らずで城を守りぬいた周虎には、後に「忠惠」という褒詞を与えられたといわれます。 武状元というのはあまり聞かない名称ですが、科挙には二種類、文科挙と武科挙があり、武科挙の状元を武状元と呼びます。 武科挙の受験者はいわゆる「体力バカ」が多いのだと言われますが、周虎はその中で珍しく文武に秀でた武状元であったそうです。 |
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