雍煕寺の?代目主人である周虎さん
あまり有名ではありませんが、どんな人?

名前周虎
叔子
出身蘇州常熟
生年不明
没年1229年
(南宋理宗紹定二年、己丑)
経歴南宋寧宗開元二年
丙辰科に武状元で登第
(1196年)
戦歴寧宗開禧二年
和州守将として金軍の僕散揆に抵抗
約一ヶ月の攻防の末に僕散揆を撤退させる
その際少なくとも和州軍は金軍のシグータンという敵将を倒したらしい
伝説(噂)ではこの攻防は三十四回金軍と干戈を交え、十数人の将兵を殺したと言われる
 蘇州景徳路付近の南宋時代の持ち主。
 三国時代に周瑜が住まっていたことから、それまで蘇州景徳路付近は「周将軍巷」と呼ばれていたが、周虎が住まうようになってからは「周武状元巷」と呼ばれるようになった。
 実際には将軍職引退後に蘇州へ住まうようになったとも言われる。
 それにしても、周将軍巷に住まう人間は寡兵で戦う宿命なのでしょうか?
 魏軍50万(実際には10万に満たないと思われるが)を3万で撃退する周瑜に、金軍を二千人足らずの兵で撃退する周虎。
 二千人足らずで城を守りぬいた周虎には、後に「忠惠」という褒詞を与えられたといわれます。
 武状元というのはあまり聞かない名称ですが、科挙には二種類、文科挙と武科挙があり、武科挙の状元を武状元と呼びます。
 武科挙の受験者はいわゆる「体力バカ」が多いのだと言われますが、周虎はその中で珍しく文武に秀でた武状元であったそうです。
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