周峻の「メンデルの法則」
周峻、江東学園高等学校付属中学1年。
江東IC国際戦略部部長周公瑾の甥である。
中学生の彼は、この日理科の授業でえんどう豆の法則というものがあることを勉強した。
ちなみに、正確には「えんどう豆の法則」ではなく「メンデルの優性遺伝の法則」である。
詳しい内容は翌日ということになったのだが、この法則を知った周峻は、オジにこれがどういう意味を持つのかを聞いてみた。
もっとも周瑜の返答は「メンデル?そういえばそんなものをやった記憶はあるが…ヘンデルなら覚えてるぞ」というものだったので、あてにならなかった。
ヘンデルなら周峻も覚えている。確か音楽家である。
ところで、このメンデルの法則、優性遺伝子の傾向が子世代では強くなり、孫世代になってやっと1/4の確立で劣性遺伝子の傾向をもった子が現れるという法則である。
例がえんどう豆なので、周峻は「えんどう豆遺伝子」と呼んでいる。
さて、この「えんどう豆遺伝子」の勉強で、家庭教師をしてくれている全jが周峻に課題を出した。
「じゃあね、このえんどう豆遺伝子で、血液型の遺伝とか、そういう図を作ってみてごらん。たぶんそれでわかるから」
全jに言われた周峻は、さっそく図を作ってみることにしたのだが、そういえばオジの血液型って何なんだろうというところでまずつまずいた。
「叔父上、叔父上の血液型ってなに?」
周峻にいきなり聞かれて周瑜は首をかしげてからにっこりと笑う。
「おまえのパパと同じだよ」
周瑜の答えに周峻が面食らった。
父とオジが同じ血液型ということは、B型に見えて実はA型の父と同じく、明らかにO型に見える周瑜はやはり実はA型なのだろうか。
初めて知った…
ということはおじい様はAA型だったのだろうか?
ところで、はたと自分の祖父のことを考えて周峻はえんどう豆遺伝子がどういうものかを思い出した。
…うわー…俺今、自分でめちゃくちゃ嫌な系図考えちゃったんじゃなかろうか…翌日、クラスメートの諸葛恪は真剣に落ち込んでいる周峻を発見した。
学園祭で女装させられたときにもこれほど落ち込んではいなかったという様子の周峻に、諸葛恪はきょとんとして友人の顔をのぞきこむ。
「峻〜?どした?」
諸葛恪に声をかけられて顔を上げた周峻が、ひどく真剣な顔で俺長生きできないと言う。
諸葛恪は首をかしげた。
昨日までは普通にバカ騒ぎをしていた友人が、まさか何か不治の病にでもかかったのだろうか?
「湿っぽいなあ、まさか心臓病とか肺結核とかになったわけでもないだろうに」
言われて周峻はなるかもねとため息をつく。
なんでと聞き返した諸葛恪に、周峻はえんどう豆の表を見せる。
……
ちなみに「病弱遺伝子」が「A」で優勢である。
「たしかに、めちゃめちゃ嫌な系図だな、おまえんちって」
諸葛恪の言葉に、だろ!と周峻が言う。
「長生きはあきらめるわ、俺…」
周峻のため息に、諸葛恪は首をひねった。
「それ言ったらうちはどうなるんさ。親父に似たらロバだぜ…」
諸葛恪の言葉に周峻が持っていたパックコーヒーを吹いた。
おまえあっさりと自分のオヤジをロバ呼ばわりか…
「オジさんに似たってほぼモヤシだし」
平然と言う諸葛恪に、周峻は唸った。
そうか…遺伝というのは外見的なものもあるんだな…
考える周峻に、諸葛恪はとどめをさした。
「まあロバでもモヤシでも、似てないよりはましだよな。似てなかったら橋下か長江の瓜から生まれました〜ってなもんだし」
なるほどと周峻は我が身の不遇をあきらめた。
そう、周峻は知らないのである。
この悩みは中学生時代の周瑜の悩みでもあったということを。
そのときには孫策が自分の家の図を描いて見せたのだった。
『じいちゃん+ばあちゃん→文台オヤジ+母上=>俺(猪突猛進優性遺伝)、権(我慢強さ・たぶん劣性遺伝)、翊(猪突猛進優性遺伝)、匡(猪突猛進優性遺伝)』と。
周瑜がメンデルは偉大であったと悟った瞬間であった…。
おそらくは周瑜の息子である循と胤も後々この問題に直面するのだろう。
夜になってそれを聞き、「強く生きてくれ、周家の男たち」としか言えない全jであった。
P.S、「周家」の範囲に、周泰が含まれていないのは周知の事実である。
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