孤軍奮闘、賀齋のネットウォー


[Hello! My Dear, Are you Happy?]
 そんなメールを、凝り性の賀齋がもらってしまったのは運命だったのだ。
 ふざけやがって
 ふんと鼻を鳴らしてメールの差出人をチェックし、賀齋は背筋にぞくりとしたものが走るのを感じた。
 メールの差出人は呂子衡とある。
 このメールは完全におかしい。
 普段の呂範であれば、本文は要らないのではないかというくらいに長ったらしい凝った題名をつけてくるのだが、このメールにはただ「Fw: Merry Christmas!」という単純な英文の題名がついているからだ。賀齋は友人の感、もとい似たもの同士の直感でおかしいということを感知した。
 なぜならば、江東ICにインターネットが導入されて以来、呂範からのクリスマスメールは非常に凝ったものになったからだ。
 おととしはフランス語で書いてきた。去年はロシア語で送ってきたのだが、賀齋のPCではロシア語が見られなかったおかげで呂範のクリスマスメールは意味不明なものとなった。その後、その話をすると呂範は3日もかけたのにと残念そうに首をふったものだ。賀齋としては、たかがクリスマスメール一通のためにロシア語のソフトを入れ、ロシア語の辞書を書店で購入してにわか知識で何とかクリスマスメールを打ってきた呂範のこの努力に拍手したかった。もっとも、その労力を仕事にまわしたらどれだけ人事部の事務処理の効率が上がるだろうかとも考えたが。

 現在賀齋は浙江省にある、江東メタルインダストリーで支社長を務めている。
 自分のPCの電源を落とし、賀齋は即座にコンピューター管理室に電話をつないで叫んだ。
「おい、すぐにマザーコンピュータをネットから切り離せ!」
 それから受話器を置かずに電話を切って、江東IC本社のふざけた階のふざけた主のひとりのところへ電話をつなぐ。
 しばらくの呼び出し音の後、ふざけた男が電話をとった。
「はーい、江東IC人事部の呂範でーっす。ここの番号を知っているあなたは江東IC内部の人間か、もしくは私に懸想をしているカワイコちゃんのどちらかでっしょーう。ご用件はー?」
 呂範のふざけた応答にも、なれている賀齋はめげない。
「カワイコちゃんじゃなくってごめんなさいねーぇ?いつか君の色彩感覚をもー少しまともにしたいと想っているJMIの賀齋でーす。お兄さん最近社内メール開きましたー?」
 賀齋の言葉に、そういや見てねえなとぶつくさ言いながら呂範が自分のPCで社内メール用のメールボックスを開く。
 マウスをカチカチとクリックする音が電話越しでも賀齋に聞こえる。
 社内連絡用のメールボックスを開かねえとは、一体こいつは普段会社のインターネットで何をしてやがると賀齋は舌打ちをした。
「開いたぞ、おお、すげえ、幹部会の結果通知がたまってるたまってる。いーち、にーい、さーん、しーの…10月の分からまったく開いてねえや。大体社内向けのホームページで見てるからな」
 ということはこの男はほとんど幹部会議の結果には目を通していないなと賀齋は見当をつけてがっくりと肩を落とした。
「月に一度は開きやがれ、このボケ。その新しいほうにだな、Fw: Merry Christmas! ってのがあるだろう。それが誰から来てるのか見てくれ。あ、開くなよ、多分ウィルスだからな!」
 賀齋に言われてほいほいと返事をしながら呂範がスクロールバーを下げると、確かに言われたとおりのメールが入っている。
「ちょっと待てよ、ああ、これはー…周公瑾からだな。これがウィルスか、てことは公瑾のところにもあるはずだな。公瑾にまわすからちょっと待ってろ」
 呂範に言われてから周公瑾かと口を曲げて賀齋は電話が繋がるのを待った。
 周瑜というのは、賀齋から見るとこの男もかなり派手である。もっとも、呂範のようにロレックスだゴジバだというものをガチャガチャとつけているような派手さではない。だが確実に色彩感覚では呂範と張り合っている。
 何よりも31階フロアがそれを証明している。深紅のペルシャじゅうたんに水色のカーテンをつける男の色彩感覚がまともであるとは賀齋は思わない。こう見えて、賀齋の色彩感覚は案外落ち着いている。周りに物を置きすぎるという意見はあるが。賀齋思うに、31階フロアというのはきちんと整頓して並べれば私設美術館にもなりうるフロアなのだ。
 せめてあのカーテンを水色と黄色ではなく、もう少し厚目のベージュのものにすると見栄えがするだろうと何度も呂範に言っているが、呂範がそれを聞く様子は一向にない。
 今は聞きたくもないクリスマスソングがしばらく流れ、それから低めのとおった声が電話を取った。
「はい、国際戦略部周瑜」
 まともな応答に賀齋はほっとした。
「JMIの賀齋です、そちらにクリスマスメールが入りませんでしたか、Merry Christmas! という転送の…ええ、そうです。転送で送られているものです、ありましたか、どなたから」
 賀齋の尋問に周瑜は首を傾げたが、そこは同じ会社の幹部同士である、あれは確か社長からだったがと言ってからそれがどうかしたかと賀齋に逆に聞き返して素っ頓狂な声をあげた。
「ウイルスだぁ?!まぬけ、それを早く言え!俺は伯符からだと思ってもう開けちまったぞ!おい子明!伯言!おまえら他の部署に言って回ってこい!それから子敬さん、コンピューター部に連絡してLANから一度外部を遮断して広報部から警告を社内ページに出すように連絡をしてください!」
 ああ、と賀齋は肩を落とした。
 時すでに遅し
「すみませんが、社長室に回してください。ああ、そうだ、メール開いてからPCの調子悪くありませんでしたか」
 賀齋のこの問いには、周瑜は少し考えてからいやと首を振った。
「特に調子が悪いということはありませんでしたよ。そう言えばちょっと外部のホームページの表示が遅くなったかとは思いますが、それほど警戒することもないのではないですかね」
 即座に指示を出して落ち着きを取り戻すのはさすがだなと賀齋は内心で口笛を鳴らした。
 電話口に向かってはわかりましたとうなずいて、賀齋は個人のPCを別の電話線からネットにつないで警告などを探したが、これといって新しいウィルスがどうという警告が見つからない。クリスマスと入れても、あたらない。チクショウと地団太を踏んだところで、賀齋は警告を見つけた。
 もしもしと明るい声がして賀齋は慌ててもしもしと返した。
「公苗か、どうだ、JMIのほうは慣れたか」
 ええと応えてから孫策に、賀齋はメールの話を切り出した。
「そうか、曹魏コンツェルンの総帥からだ。弟のところに縁談が来たのは知っているだろう。それで時候の挨拶かと思ったんだが」
 曹魏コンツェルンの、と唸ってから賀齋はあと声をあげそうになった。
 あった、このウィルスだ
 ありがとうございましたと孫策に言って電話を切り、賀齋はにやりと口角を上げてふんと笑った。
 自分のPCに転送したメールを開いて、それから賀齋はしばらくPCをネットにつないだままで様子を見る。
 定期的にジジ、と音がするのが気になる。
 やばいなと賀齋はあごに手を当てた。
 何も被害がないようにできている、このプログラムはいたずらようのウィルスではない。
 いたずらのウィルスならば、恐らくは派手にデータを消して風邪のように去ってゆくのだ。そう、風邪のように。決して風ではない。
 時にはデータ全ての乗せ換えが必要なときもあるし、工場に出してクリーンアップをしてもらわなくてはならないこともある。
 そんなことしてられるかと賀齋はいつも思うのだが、このメールを一度開いてみたいと思うのも賀齋の好奇心の強さを表している。
 パターン解析かと賀齋は舌打ちした。2へ続く

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