江陵晩暁


 夜営で、馮栄は呂蒙の傷の手当てをしながら、呂蒙には春秋を読ませていた。
 ジンティェンタァゼンマラ?(今日は彼はどうしました)と馮栄に聞かれ、呂蒙がふと目を上げる。
「他是誰(タァシィシェイ・彼とは)?」
 呂蒙にきき返されて馮栄は常常替将軍写字的他(いつも将軍の代筆をしている彼です)と言い返し、それを聞いて黙りこくってしまった呂蒙の方を怪訝そうに見た。
 なにか、触れてはいけない琴線に触れたようだということだけはわかった。
 しばらく春秋に目を落として、呂蒙がつぶやくように答えた。
「他死了(タァスゥラ・死んだ)」
 つぶやくような呂蒙の言い方に、馮栄は黙りこくった。
 呂蒙の方が、つぶやくような声で言葉を続ける。
「人と人が斬りあいをするんだ。春秋経の中じゃ血は流れないけれども、小梁は血を流して死んだし、他にも血を流して死んだ兵士がたたくさんいる。老陳もそうだし、小張もそうだ。だからこそ、戦いもせずに反戦だなんだと言う奴がもどかしい。俺らだって責任もなく開戦を主張するわけじゃないし、兵士の命がかかってるんだ。なんの根拠もなく勝てるとは言えないだろうが」
 呂蒙の言葉に馮栄が黙ったままで一度目を伏せ、それから包帯の余りや膏薬を箱にしまいこむ。
 ぽつりと馮栄が誰にともなくつぶやいた。
「戦はむごいものだと決まってます」
 馮栄の一言に、呂蒙がそうだよなと言う。
 だから、と馮栄が言葉を続け、呂蒙が馮栄の方に目を向けた。
「古今の名将は、いかにして最小限の犠牲で戦を有利に終わらせるかを考えるのが義務なのでしょう」
 傷口を拭いて消毒をした布をすすぎながら馮栄は続ける。
「私は戦のことなどわかりませんが、少なくとも孫子は戦わずして勝つというのが上の勝ち方だと言います。あなたの義務は、戦って勝つことではなく、いかに自軍の手を汚さずに勝つかでしょう。小梁や、他の兵士を死なせた責任はもちろんあなたにあるんです。突撃するだけが能ではありません。勉強なさいとは、ご主君から将軍へあたえられた名言でしょうね。これまでに考えたことを言わせていただければ、赤壁での勝ち軍はまぐれ勝ちでもなければ、周将軍の天才性による勝ちでもありません。周将軍というのは秀才のようですが、よく戦史を研究していらっしゃるというところでしょう。戦国時代の楚の名将と同じ戦い方をなさる。お手本どおりの勝ち戦というわけです。ご主君の挙げた経典をきちんと勉強すれば、将軍でも周将軍のような鮮やかな勝ち方ができますよ」
 馮栄の言い方に、呂蒙はふんと鼻を鳴らした。
 小梁が死んだ責任者が自分であることなど呂蒙も先刻承知である。
 そこへもってきて、追い討ちのように責任は自分にあると言われてうれしいものではないだろう。ただ、呂蒙は凌統よりも素直である。ゆえに勉強もしようと思うし、兵士の死が自分の責任だと言われれば落ちこむ。これが凌統であれば逆に、そんなことはわかっているとでも反論するのだろう。
 公瑾兄というのは、天才だと思っていたと呂蒙が言い、馮栄がそれにうなずく。
「周将軍がある種の天才であるのは確かです。私では周将軍の真似はできませんし、したところで敵いやしませんよ。あなたが今周将軍の真似をしても、あれほど鮮やかに派手にはできませんしね」
 馮栄に言われて呂蒙がおいと声をかける。
「さっき言ったことと違うじゃないか」
 呂蒙がむすっとして言うのに、馮栄がにこりと笑う。
「あの人は根っから派手なのでしょう。それに根っから軍師肌なのでしょうし。あれだけの戦をきれいに展開するのはさぞかし楽しいだろうと思います。将軍は努力家であればよいのです。周将軍の指揮を見ていて、ああいう戦い方をしてみたいと思ったでしょう?」
 それはあるなと呂蒙がうなずくと、兵士に無駄死にはさせない戦い方ですと馮栄がにこりとまた笑いながら言った。
「甘将軍を援護に行ったときはどうでした、自分で考えたとおりに戦が展開して、勝ちをとるのは楽しかったでしょう?」
 わくわくすると呂蒙が戦から帰ってきたときの笑顔で答え、馮栄ははははと笑った。
「将軍は、あんな勝ち方を何度でもできます。そのために、小梁と私がいるのですからね」
 馮栄に、今日はこれだけでいいですと言われて呂蒙は首をすくめた。
 明日から呂蒙にとってはまた春秋を暗記する毎日が始まることになるだろう。

 ああ、そうかと一人でうなずいたのは魯肅である。
 北に劉備軍が回れば、曹仁は警戒して二手に軍を分割するだろうと周瑜がふんだのだと了解したのである。
 劉備の方から申し出があったのだとすれば、その手回しは諸葛亮がしたに違いない。
「二千とは豪気に貸したものだ」
 周瑜が呉軍から蜀軍に貸した兵士が二千、これを持ち逃げされたらどうするのだろうと魯肅は一瞬考えたが、それもないかと思いなおした。
 兵を借りると言って持ち逃げするというせこい手を使ったのは周瑜の方である。
 孫策に入れ知恵して孫堅の軍を袁術から奪い返したのである。
 当時袁術配下にいた魯肅は、周瑜から計画を聞かされて苦笑した記憶があった。
 良家のお坊ちゃんが考えるにしてはせこい手だなと言って周瑜をからかったことも記憶にある。
 なるほどと魯肅はもう一度うなずく。
 周瑜は魯肅と諸葛亮が企てる天下三分を逆手に取ろうということにしたらしい。
 劉備を呉に取りこむにはいい機会ではあるかもしれないと魯肅は苦笑した。
 しかし劉備が一筋縄ではいかないことも、周瑜は承知しているはずである。
 ならば劉備を足止めすることができるのだろうかと魯肅は思案した。
 あるとすれば斉桓公が晋文公を足止めした手段か
 ふうむと唸って魯肅は自分の机の上に周瑜からの信を放り出して牀に座りこんで頬杖をつく。
 やめておけ公瑾、失敗するのが落ちだ
 ふんと息をついて魯肅は牀に転がって大の字になった。
 最悪の場合ではあるが、押さえになるどころか反感を招きかねない。
 孫家の娘を劉備に嫁がせるというのだろうと魯肅は見当をつけている。
 陸家と同じ手だが、外部勢力であるだけ劉玄徳の方が性質が悪い。劉備に逃げ切られて蹴りがつくというところがせいぜいだろう。
 これから手に入る土地であれば、劉備陣営が拠点にできるところは巴蜀しかないし、巴蜀に陣を取りたいと諸葛亮は言っていた。
 甘寧は呉が巴蜀を取って、魏呉二国で天下を争うという構図を孫権にぶちまけたが、周瑜ももちろんそのつもりでいたはずだ。
「巴蜀なんぞ取ったところで役にも立たんだろうに」
 天井を見上げながら魯肅がくっくと苦笑する。
 確かに荊州から西の巴蜀を取れば魏と対抗できるだけの領土面積を手に入れることができ、それによって東西どこででも魏と対峙できるだけの地盤ができる。しかし巴蜀という土地は、取ったところで守りやすく攻めやすいという特徴はあるのものの、それは天然の要塞であるということを意味し、入りにくく出にくいという特性をあらわしている。
 要塞として使うのでなければ、巴蜀というのは使いにくい土地である。
 そこに劉備陣営が入ったとしても、呉にさしたる障害はないと魯肅は判断している。
 魏と巴蜀を天秤にかけることで呉は地盤を固め、大陸の情勢を動かすことができるようになるというのが魯肅の算段だった。
 諸葛亮の方から見れば、すでに魏呉は地盤を確立しており、それを壊すことは体力の消耗でしかないというところだろうが、呉を盾にする以上、巴蜀に陣を取れば魏呉の間へ割ってはいることができるということに過ぎないのだろうと魯肅は孫権に話した。
 魏と犬猿とも言うべき関係にある劉備陣営が魏呉を手玉に取る外交はできない
 魯肅のつぶやきは部屋の空気に溶けた。
 船上で、呉に与するよりも巴蜀を選びますかと問いかけたとき、諸葛亮が言った言葉を魯肅は思い返す。
 管仲に憧れているのです、一人の男に天下を闊歩させて見せる、それが理想でしたからね。どこまでできるか、本当ならば呉でもよいのでしょうが、兄の七光りで参議するようでどうにも居心地が悪そうだった。腕試しができそうなのは玄徳公の横でしょう。それに周将軍はどうにも玄徳公が信用ならないようですが、実のところは単純な人なのです。人らしすぎるから、逆に周将軍は気を使ってしまうのかもしれませんよ
 部下が死んでいたかもしれないと聞いて落涙する将軍はいくらもいるが、部下が助けてきた自分の子供を張り飛ばすというのは尋常とも思えませんがねと付け加えた諸葛亮を思い出して、そういえば諸葛孔明も血は赤かったのだなと魯肅はため息をついた。
 むしろ血が赤くないのは、弟の前でも他人行儀な兄の諸葛瑾かもしれないとまで思った魯肅である。


江陵晩暁11へ続く

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