江陵晩暁


 寝覚めが悪くて凌統は夜が明ける前に起き出した。
 父親の死体が目の前にある夢を、父が死んで以来幾度か見る。
 どれもこれも甘寧のせいだといつもはむきになって主張するが、一人で陣の近くを散歩しながら、地平線に目を向けて凌統は目を細めた。
 父が死んだのは彼が15歳のときだった。
 悔しかったよな
 凌統がつぶやいた言葉が、朝の冷たい空気に溶ける。
 悔しかったよな、親父
 もう一度つぶやいて、凌統は空を見上げた。
 真っ白な雲が風に乗り、手の届かない高いところを流れて行く。
 絶対にあいつを切り刻んで、そうして墓の前に持っていってやる
 口には出さずにつぶやき、凌統は甘寧の幕舎のほうを見据えた。
 自分の父を射殺した男は、仲間面をして将軍の中に混じっている。
 本当なら、父がそこにいるはずだった。
 父がそこにいるべきだった。
 本来父がいるべきところにいる甘寧を、凌統は歯噛みしながらにらみつけるしかできない。それは仇を討つと口で言うよりも、はるかにじれったいものだ。
 俺は絶対にあいつとは馴れ合わない
 凌統は自分の中で繰り返す。
 俺は何があっても、あんなやつを赦すものか
 繰り返し、凌統は目頭をぬぐった。
 夜明けの空が、凌統の目には白く濁っていた。

「不憫な子だな」
 程普の一言に、周瑜は俺がですかと聞き返した。
 周瑜の言葉にあきれながら、程普は首をふっていいやと返す。
「公績だ」
 程普に言われて周瑜はふうんとあいまいにうなずいた。
 長期間陣にいると、朝の粥も塩味しかしないせいで飽きてくる。
 それでも塩味の粥をすすりながら、周瑜は程普にでもと返す。
「俺もあのぐらいの年のころにはもう父はいませんでしたよ」
 自分の粥を手にして、周瑜の前に腰掛けた程普はふてくされた子供のようにして見せる周瑜に苦笑した。
「それが不憫なわけではないぞ。それを言えば主公もそうだろう。二十歳になる前には一小爺も他界していた。公績が不憫だと言うのは、父親の戦死に引きずられているところだ」
 ふうむと唸りながら、周瑜は自分の粥をすすりこむ。
 朝っぱらから酒を出すのはさすがに控えようという配慮が一応はあるのか、それとも年長者の前で朝の粥をすすりながら酒を飲むというのはまずいだろうという自制心が働くのか、酒を持ち出すことはなく、周瑜は程普の前でおとなしく自分の朝食を口に運んでいた。
 周瑜の様子を見ながら、程普は目を細めた。
 はじめ孫策を尋ねてきた周瑜を見たときには、一蹴にしてやろうかとも思ったものだったが、盧江周家のお坊ちゃまがここまで戦についてくるとは思ってもいなかったと、程普は感慨にとらわれたのである。
 小賢しい少年だと周瑜を見て程普は一番に思った。次には優等生だと思い、それから周家の問題児だと思った。
 父親の戦死ですかとつぶやく周瑜に、程普はうむとうなずく。
「私は幼いころに父親が亡くなっていますし、うちの息子はまだ小さいのでよくわかりませんが、そうですね、やはり息子が私の仇を討つといって躍起になっていたら、私は心配というより息子の頭を叩いてやりたくなるかもしれませんね」
 周瑜の言葉に程普はあいまいに微笑した。
 周瑜という少年が、人間らしくなったような気がした。
 もう大人ですよと言われるかもしれないが、程普にとって孫権はころころと転げまわってはにこにこと泥だらけで笑っているような子供だし、周瑜もまた、孫策と二人で庭を駆けずり回って悪さをしていた少年のままなのである。
 親になると、それなりに分別ができてくるものだなと程普は妙な感心をして周瑜のほうへ目を上げた。
「なんです」
 周瑜に聞かれて程普が自分の粥をすすってから周瑜を真正面からとらえる。
 面差しも、はじめて会った頃より大人びているということに、程普は改めて気がついた。
 話をしていて楽しいもんだな
 程普の口から、想像もしていなかった言葉が飛び出し、周瑜は面食らって程普を見つめてしまった。
 困ったような照れ笑いが周瑜の顔に広がる。
「あなたがそう言うと、私はとてもうれしい。十数年間従軍して、今日はじめて言われましたよ、そんなこと」
 周瑜の笑いに、程普が苦笑した。
「初めて会ったときには、良家のお坊ちゃまだというのがすぐに見てとれた。傲慢不遜なという感じがしたからな、一小爺とは合わないだろうと思っていた。人間らしい表情をするようになったじゃないか」
 程普の言い方に、笑っていた周瑜は困ったような顔をわざとして見せるとぶつぶつと小声で、しかし程普に聞こえるように言って聞かせた。
 それじゃ初めて伯符と会った頃の私はどうも人間ではなかったらしい
 周瑜の言い分に、程普がははと豪快に笑いながら、あるいはそうだったかもしれんと答えた。

 奇襲はかけないと言った周瑜に、正攻法ですかと甘寧が渋面を作って見せる。
 威勢の好いことを言うのは凌統である。
「この間城から出てきたような奴なら、簡単に包囲できます」
 顔をしかめたのは陸遜である。
「あれは腕試し程度でしかなかったのでしょうが。結局指揮官が出てきて逃げられているのだ、次に仕掛けたときには始めから本気でやり返してくるに決まってます」
 まだ少年から青年になったばかりではないかという二人の意見に、程普は苦笑した。
 知識のある者と、それなりの者との差か
 程普がにやにやと二人を眺め、甘寧は凌統のほうを心配そうに眺めやった。
 手堅いことを言ったのは、意外といえば意外に呂蒙であった。
「確実に一度、一瞬でも城から引き離すことができればよいのですけれども」
 呂蒙の一言に、周瑜がまず唸った。
 これは、ひょっとしたら仲謀弟の言うとおり化けるかもしれない
 程普がそこへ間髪を入れずに聞き返す。
「具体的には何か案があるのか」
 程普に聞かれ、呂蒙が少し困ったように首をすくめて見せた。
「残念ながら、まだ何も俺は考えつきません」
 しかし、時間をもらえれば、確実に策を提示できるという呂蒙の自信は以前よりも強い。
 小梁がいなくなってから、呂蒙と戦略をたてる相談相手がいなくなった。
 馮栄は呂蒙の春秋の講師ではあるが、しかし小梁のように戦略をたてるということを基準に考える男ではない。
 文化人然としたという表現がよく似合っているのだろう。
 それが小梁との違いである。
 同じように大学、中庸を学んできて、同じように春秋を見てきた二人ではあるが、小梁が戦略分析を得意とする男であったのとは反対に、馮栄という男は人間分析に長けているようである。
 だからこそ、馮栄は呂蒙を焚き付けることに関しては小梁の上を行った。
 馮栄が小梁の死を逆手に取ったせいもあるのかもしれない。
「当面は持久戦でやるしかないのでは」
 呂蒙の言葉に目を見張ったのは凌統だった。
「子明兄も戻ってきたんだから総力戦で仕掛ければすぐに落とせるはずなのに、それでも持久戦やるんすか」
 総力戦、凌統から言われたこの言葉に、呂蒙はぴくりと眉を動かした。
 総力戦を仕掛けると言えば通りはよいし、すぐに落とすことはできるかもしれない。
 しかしそのためには膠着してしまった陣を動かす必要が出てくる。
 経験から、前の戦の波に乗る勢いがなければ総力戦でも城を落とすことが危険だというぐらいは呂蒙にもわかっている。
 ここからは持久戦でねばる。
 最小限の犠牲で勝つ義務
 指揮官であることの義務は、今この幕舎にいる将軍たち誰もにあった。


江陵晩暁12へ続く

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送