江陵晩暁


 牛金という人間が曹仁配下にいる。
 呉軍と対峙した曹仁が、まず手始めの会戦で城から出してきた男である。
 がたいのよい男だと程普は思った。
 程普という男は、それこそ曹操とは同世代ぐらいの男だ。
 曹仁のほうからは呉軍の実力試しのために牛金を出してきたという感じを彼は持ったのである。
 侮られては困る
 くっくっと忍び笑いをもらして程普は牛金を遠くから見据えていた。
 あっさりととまでは行かないものの、牛金を絡めとって包囲した若い将軍たちに、よくやったと内心で叫んだことを程普は反芻する。
 絡めとった牛金を開放するために出てきた曹仁という男も、歴戦の勇士であるとはすぐに見て取れる。
 騎兵隊が入り乱れる中を、曹仁は自ら白刃を抜いて指揮を取っていた。
 あれが将軍か
 程普が曹仁を注視している間に、周瑜が戦鼓の叩き方を変えた。
 呉軍の兵士たちが一斉に退く。
 若い将軍たちの指揮に合わせて縦横無尽に、流れるように動く呉軍を曹仁はどうみたのだろうかと、程普はふいに考えた。
 周瑜という青年が、有能な将軍であることを再認識させられた会戦だった。
 両軍互角の打ち合い。
 この会戦は長期戦の幕開けを意味していた。
 持久戦は、場所が荊州内であるだけ呉に有利だった。
 呉軍へは、水陸の補給線が確実にとれている。
 送られてくる物資も、兵士を食わせるには満足な量がある。
 このとき呉軍はおよそ3万余の軍勢であっただろう。それに劉備の軍勢が加算されることになる。
 曹仁軍を、いかにして城から引き離すか。
 それが、呉軍に従軍している若い将軍たちの論議の的となった。
 城を睨み据える程普の目が厳しくなったのを、周瑜は見逃さなかった。

 今回は、この間ほど巧くはお膳立てされていなかったようですね
 周瑜の言葉に、程普は彼を睨みつけた。
 お膳立てとはどういうことか
 問いただすような程普の視線に、周瑜は唇を少しかみながら城のほうへと目をむける。
「こちらが有利であることには変わりませんが、城を包囲するのも難しい」
 周瑜が言い、程普はふんと鼻を鳴らした。
「せいぜい犠牲を減らすことを考えたほうがよかろうな」
 程普の口からこぼれた言葉に、周瑜は唇を尖らせて地図を見つめた。
 この状況では勢いをつけて突破することはできない。
「補給線を断つというのはどこまで有効だと思いますか」
 周瑜に聞かれ、程普は首を振った。
 食料の補給路を断てばよいとは言うが、しかし城の中にはどれだけの穀物倉があるのかもわからない。
 蓄えられた米や麦はかなりの長期保存が利く。
 倉がどれだけあるのかが問題だった。
 どれだけの蓄えがあっても、曹仁軍を1年持たせることはできないだろう。
 しかし荊州の城であれば、補給線を断ってもおそらく半年ほどの持久戦は可能である。
 即座に実行して即効力を持つような手段というわけではない。
「時間を短縮するには、あまり期待することはできないかもしれん」
 程普の言葉に、周瑜はうむとうなずく。
 妻に手紙を書かなければと周瑜がため息をつき、俺はいつになったら嫁さんが見つかるのだろうと呂蒙が不安になった。

 青鹿毛のたてがみを梳かしながら、陳丹はため息をついた。
 赤壁で魏軍船が燃え上がった日は、興奮して翌朝まで何も手につかなかった。
 それに比べてしまえば、ここでこうして悪戯に睨み合いを続けるような持久戦は時間の無駄のようにしか思えない。
 家は兄がいるからと外で身を立てるために軍に入って、呉水軍の精鋭部隊に名前があがったときには飛び上がり、早々に親のところへ信を出した。
 鼓の鳴らし方もすべて覚えた。
 前進、後退、鶴翼、円陣
 ほんの少しの鼓の音の違いで船を動かすことができるのは、呉軍しかない。
 訓練次第で張り合うことができる水軍があるとすれば、それは魏軍ではない。
 山越であろう。
 成語に呉越同舟という言葉があることからもわかる通り、呉と越は昔から船の文化が発展していた。
 春秋戦国時代には、これに加えて荊州付近を統括していた楚が舟戦を得意にしていたものだが、今では荊州水軍は魏軍に併合され、あまつさえ数を頼むような体たらくになり下がってしまった。
 荊州水軍だけであれば、あるいはそうでもなかったのかもしれない。
 ところが魏は、自国に水軍を作ろうとし、赤壁でその統制のなさを露見してしまった。
 次からは、舟戦はないだろうと呉水軍の誰もが思った。
 陳丹もそのひとりである。
 中原との舟戦は呉軍の圧倒的な勝利のようにも見えたが、勝つべくして勝った戦だったのではないかと陳丹は考えている。
 舟から彼が蹴り飛ばして長江に葬った兵士たちは、みな一様に水に慣れていないようなお粗末な兵士たちで、舟から舟へと飛び移って魏軍兵を落としながら、むしろ彼等を蹴り倒している自分のほうが悪者になったような気がした。
 ため息をついて、陳丹は上司の馬を見上げる。
「俺は別に後悔しているわけじゃねえよ」
 馬に向かってつぶやきながら、陳丹は馬のたてがみを梳かす手に力をこめた。
 青鹿毛の漆黒のたてがみを梳かし終わると、今度はたてがみを編み込む。
 蒼龍と呼ばれる見事な青鹿毛は、将軍でなければ乗れない。
 蒼龍とは身の丈八尺を超える青鹿毛(漆黒の馬)のことである。
 劉備の配下では、汗血馬とも言われるような見事な栗毛がいるというが、陳丹が思うにはこの青鹿毛も負けてはいないはずである。
 赤兎と蒼龍では、どちらが戦場で映えるのだろう
 妙なことを考えながら、陳丹は馬のたてがみを編み込んでゆく。
 馬のたてがみを編むのは闘争本能を抑えるためである。
 たてがみを編み込まれたからといって、その馬の闘争本能が薄れるわけでもないが、他の馬の競争本能をそぐことで騎馬軍の統制を取りやすくするのだ。
 騎馬軍の統制がとりづらいことは、遊牧民族の軍隊と中原の軍隊を比較すればわかる。
 もっとも遊牧民族である北戎などの兵は特にまとまりがないため、比較対象にはならないかもしれないが。
 蒼龍のたてがみを編み終えて、がっしりとしたその身体を軽く叩くと満足げに陳丹は蒼龍を見上げる。
 この蒼龍を、陳丹は勝手に黒玉と呼んでいる。
「ヘイユィ(黒玉)、おまえ次の戦ではまた将軍を乗せるんだ。がんばって走るんだぞ」
 陳丹が声をかけると、わかっているのではないかというように、黒玉がぶるると小さくいなないて首を振った。
 それから陳丹を毛繕いしてやろうとでもいうのか、陳丹の頭に顔を摺り寄せ、陳丹はうれしそうに苦笑する。
 黒玉と陳丹が呼ぶこの蒼龍は、普段周瑜が乗っている馬である。
 身の丈八尺という背の高い馬を乗りこなせるのは、どう考えても南方系とは思えない身長のある周瑜ぐらいになる。
 純南方系の陸遜や凌統では乗れないのである。
 考えると陳丹は笑ってしまうのだが、陸遜、凌統には蒼龍の背は高いため、とっさに上ることができないからであった。


江陵晩暁13へ続く

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