江陵晩暁


 父のお説教に厭きた子供のようにふてくされる凌統に半ば呆れ、半ばいらだちながら呂蒙は言葉を続ける。
「それでどれだけおまえについて行こうという兵士がいる。俺ならそんな将軍について行くのはごめんだ。いつ他の将軍に見放されるかもわかったものではないからな」
 聞いているのかいないのか、凌統の表情はふてくされたままで地面を睨んでいる。
 呂蒙の片手がパキリと鳴らされて凌統はちらりと上目遣いに呂蒙を見たものの、今度は立ちあがって牀に腰を落とした。
「俺は、父の仇が討ちたいです。ただ、それだけです」
 凌統の言葉に呂蒙はぺいっと唾棄する。
「おまえの仇討ちってのはその程度か。おまえ自分で興覇の首を取らんでも仇討ちが叶ったと喜べるほどのバカか」
 呂蒙の軽蔑したような言葉に凌統は唇を噛んだ。
 それができるなら俺はとっくに親父の仇を討ってやったとも
 悔し紛れにつぶやいた言葉に、自分でよけいに腹が立ち、凌統はちっと舌を打った。
 その間も呂蒙の言葉は続く。
「甘えてんじゃねえよこんガキャ。もともと頭はよくねえんだったけな。それにしてもお粗末だぜ、自分じゃ手も足も出ませんてわけか?そんなに志の低い奴だったとは思わんかった、それとも他人が手伝ってくれるなら本望ですってか?あ?公績。大体にして親父が戦で死ぬことはないと決め付けてたってのはお子様度もたいしたもんだぜ。俺たちゃ命賭けてんだぞ、戦で死んじまうってのはついてねえってだけの自業自得なんだ、自分がボケてっから流れ矢なんぞに当たっちまう。それがてめえは自分の親父だけが殺されたみてえに言いやがって。へっ伍子胥気取ろうってか、百年早いんだ。どうかしてるぞおまえ」
 この呂蒙、よくぞこれだけ言葉が出てくるものだと、甘寧が見たらおそらくは感心し、周瑜が見たら呆れ、魯肅が見れば苦笑するであろう。
 思いつく限りの言葉を並べ立てる呂蒙に、凌統はきりりと拳を握り締め、呂蒙はそれを見てか、ふいにため息をついて凌統に向かい合った。
「いいかげんにしろよ、見たとおり、俺は気が短くていかん。おまえがうだうだ言っている間に俺はぶちきれておまえに殴りかかるかもしれん。それとも剣を突き立てるか、上意下達が守れないようなクソガキ連れてくるんじゃなかったと都督のところに泣きつくという手もある。ただな、軍というもんは自分勝手なことばかり言っていてはいかんのだ。どこかの隊列が乱れたら、どこかがそれに手を貸す。どこかに勢いがつけば、それを後押ししてやる。今興覇の軍が崩れたら、江陵から撤退せねばならん。そうしたらおまえがここにきて奮闘していることまで意味がなくなる。そうして俺たちは負け将軍として帰還するわけだ。おまえがここで本営を守ってくれれば、呉軍は勝ち戦で錦を飾り、大手を振って江東に帰ることができる。全ておまえ次第でな、わかるだろう、それぐらいは。勝つか負けるか、おまえが選ぶんだ」
 真剣に、しかし険しい瞳で凌統と目を合わせる呂蒙に、凌統はうなだれた。
 この人は、案外人をやる気にするコツを知っている
 外ではらはらしていた小梁は小さくくっくと笑う。
「なんでそんなにあのクソ親父に肩入れるんですか?」
 大声でお説教されてふてくされた凌統に聞かれて呂蒙は腕組みして凌統に流し目した。
「そうさな、俺は好きなんだよ、ああいうバカで体力勝負で無謀で運だけが取り柄みたいなんだが、その実冷静沈着、判断はきちんとできるいい男ってのが」
 それでもふてくされた様子の凌統に、呂蒙は頭を掻きながらいらいらしたようにもう一度指を鳴らす。
「荊州が取れるか否かは、おまえ次第だと言っただろう。やる気はあるか?これができなきゃおまえ、興覇に遅れを取ることになるんだ。やれよ」
 幕舎の外で、小梁は太陽を見上げてつぶやく。
 小半時(三十分)たったか
 ここまでの時間で納得しきらない凌統に呂蒙がいらだっていないはずはなく、頭を掻きながら小梁は歯軋りした。
「こりゃ幕舎に戻るまでがつらいな」
 外で待っているほうは寒いのだからいいかげんに出てきてもらいたいものなのだが、呂蒙のいらだった声はまだなんとか納得させようと言葉を続けている。
 やはり寒そうに横に突っ立っている護衛兵に、あとどれぐらいで呂蒙が切れるか賭けないかと冗談ごかしに笑いながら、小梁は足踏みして中をちらりと覗きこんだ。
「あと小半時もしたら中郎将ではなく俺の耳のほうが千切れそうだよ」
 独りごちてから小梁は懐に手を突っ込む。
 一刻も早く舟を出さなければならないときに、クソガキは適当に丸めてさっさと離岸しろと言いたいところだが、気遣いがなければ呂蒙もただの荒くれ者だと思いなおして小梁は首をすくめた。

 甘寧が夷陵に行ったとな
 魯肅は布帛を放り出した。
 老李があきれたように布帛をたたんで声をかける。
「老爺、なんでもご主君にとんでもないことをお言いなさったと評判になっておりますよ」
 老李の言葉に魯肅はうるさいとでも言うように牀にころがって布団に丸まった。
「なにもとんでもないことをしたということでもない、礼儀は失せぬように細心の注意を払ってきちんと意見したぞ」
 呆れる老李に魯肅はそうだと口を開いた。
「主からの公瑾弟や蒙ちゃんへの信は早馬で送られたのだろう、今ごろはすでに到着しているはずだな」
 魯肅のつぶやきは老李に向けられたものではない、独り言のように小声でつぶやかれた言葉は危惧とも安堵ともつかない雰囲気をまとっている。
 孫権から周瑜、呂蒙に向けて発された信というのは投降してきた将である襲肅に関するものである。この件は別に魯肅から上奏されたものではなかったが、魯肅が孫権という青年に改めて感心させられた事柄でもあった。
 数日前のことであるが、襲肅という武将が投降してきた際に、周瑜の一存で呂蒙隊に彼を併合させようということになったが、襲肅の部隊を全てとりあげて中央で合併させるという周瑜の意見に呂蒙が反対したという一件があったのである。
 呂蒙曰く、まったく馴染みのない勢力のなかでまったく馴染みのない兵士ばかりでは士気も落ちるし、なにより統制が取れないだろうというのである。
 まず報告されて笑ったのは孫権であった。
 呂蒙らしい発想じゃないかというのである。

「部隊ごと襲肅を呂蒙の幕下へ入れてはいかがかとの打診にございますが」
 早馬を飛ばしてきた使者の言葉に、孫権は考えるふうも見せることはなく、苦笑しつつ二つ返事でうなずいて見せた。
「いいのじゃないかな、呂子明らしい発想じゃないか」
 言ってから孫権は、さらにはっはと大声で笑い出した。
「呂子明は、やはり人の機微をよく気にする。どうだろう子布、異存はあるまい」
 ちらりと父の機嫌でも気にする子供のような仕草で張昭のほうに目を向ける孫権を見て思わず魯肅は諸葛瑾と目を合わせて微笑んだ。
 張昭というのはいわゆるお目付け役的なところがあるが、孫権にとってはお小言係でも言うべき父親代わりでもある。孫家をのし上げてきた実父孫堅亡き後、程普が実兄孫策の父親代わりともいう存在であったが、孫権にとって身近であったのはどうもこの張昭のほうだったようである。孫権から陰でお小言閻魔王と呼ばれている張昭の顔色を、孫権はどうしても気にしてしまう。
「将軍のご随意に」
 張昭から発せられた声に、満足げな孫権を眺めて諸葛瑾が小さく首をすくめ、魯肅が片眉を上げて諸葛瑾に見せた。
「やはり主は、お小言閻魔王殿には敵わんようだな」
 朝議の休憩に魯肅が白湯をすすりながら苦笑すると、諸葛瑾がやはり苦笑しながらまったくそのようでと返す。
「しかし、主がああもあっさりと将の意見を許容するというのは器の大きさでしょうな」
 諸葛瑾の言葉には魯肅がうなずく。
「還是、主公的度量太広大マ(やはり、主は度量が広いな)」
「真是的(本当に)」
 茶のみ友達というのはこの魯肅と諸葛瑾のようなものを言うのだろうが、この二人の表情に見られる穏やかな表情に和むのは、その人間がこの二人の真の恐ろしさを知らないからだと孫権が思っていることも彼らには関係のないことである。


江陵晩暁6へ続く

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