江陵晩暁


 呂蒙隊ではなく、甘寧隊が夷陵に向かったというのは得策ではないと魯肅はため息をつきながらきつく纏め上げられていた髪をほどいた。
 呂蒙隊に襲肅の部隊が統合されたのだから、もともと甘寧、凌統よりも多かった呂蒙隊の人数は更に増えたのだ。しかし出たのは甘寧隊だという。
 夷陵攻めはそもそも甘寧が投降してきたときからの戦略であった。
「まずは江東の地盤が固まっておりますゆえ、次には荊州と巴とを落として南全体のの地盤固めをして北と対抗するべきでしょう、とな」
 魯肅がつぶやいたのは甘寧が投降したときに孫権に説いた構図である。
 横になると戦場とはまったく違う空気にさらされてどこか気が抜けている自分に気がつき、魯肅は苦笑する。
 自分の説いた構図を実際に作り上げるために誰もが奮闘する時代だ。魯肅がそうであるように甘寧もそうなのだ。自分が動いたように、甘寧が動く。自分が動くことを甘寧は望むだろうし、実際に自分が動いた。
 だがしかしそれは本当に得策であったのか。周瑜と程普の率いる本隊について行動しているのは呂蒙隊、甘寧隊、凌統隊などであるが、たしかに甘寧とともに本隊付きなどと言われれば凌統はよしとするまい。自分であればどうするかといえば、万事に完璧を期待するのであれば凌統隊を外して別の部隊をを置くか甘寧隊を外して別の部隊を置くかするだろう。
 夷陵に入るのに、甘寧はどのような道を使ったか、これが問題かな
 魯肅の脳裏には江陵から夷陵付近の地図が鮮やかに描かれている。
 河から山沿いに入るか、それとも真正面から夷陵に入るか。
 曹仁は歴戦の武将、ならば夷陵の山間部に伏兵を置くぐらいのことはするだろう。そうなれば甘寧は挟みこまれる可能性もある。
「バカなことになっていなければいいが」
 魯肅の危惧は誰もが抱いた危惧である。もっともこのために実は気に入っている蒙ちゃんの神経が切れそうになっているなどということは魯肅には関係がなかった。

 呂蒙隊が甘寧隊の囲まれている夷陵へ入ったのは呂蒙隊が本隊から離れて約四日ほど後である。
 甘寧隊の見張りは高台から呂蒙隊の旗を見て取るとすぐさま甘寧の下へと走る。
 甘寧隊を囲んでいたはずの曹仁の別働隊は内と外から逆に包囲される形になった。
 このころ江陵の方では劉備が周瑜の幕舎をたずねていた。
「劉皇叔、なにかありましたか」
 慌てて席を立つ周瑜に拱手しながら劉備は癖のない笑顔を向ける。
 周瑜にとって一番警戒するべきなのはこの癖のない笑顔である。癖のありすぎる笑いというのも嫌なものだが、癖のなさすぎる笑いというのもやはり背筋がぞくりとするものがある。施主に対する坊主の笑いだというのであればまだしも、劉備という男は内面に自分と同じ、中原統一の野心を抱いている。野心家でありながら癖のない笑い方をする男というのが、周瑜は好きになれそうになかったが、しかし表面はにこりと笑顔をつくって見せながら劉備に席を勧めた。
「どうぞ、一献させていただきますよ」
 左手で右袖を押さえながら酒を注ぐ周瑜から杯を受け、劉備はそれを周瑜に掲げて見せてから干して見せる。周瑜も同様に杯を逆さにして見せ、それから酒のつまみの茹で落花生を箸でつつく。
 落花生をつまみながら周瑜はそれでと劉備に声をかける。
「劉皇叔、今日わざわざお運びいただいたのはいかなるご用件でしょう」
 笑顔で首をかしげる周瑜に、劉備はそれがと箸を置いて周瑜の目を見、周瑜は真正面から少し上目遣いに劉備の目をとらえる。目を見るときには誠意があるが、もうひとつ周瑜が心がけているのは、自信をもって人を騙すときと説得するときには目を相手の目からそらしてはならないということである。哀悼であれば目を伏せがちにし、驚いて見せるのであれば目を見開く。真剣であると思わせるのであれば上目遣いにし、そうして何度仮病を使って孫策を騙したことか。思えば昔から騙りでも食っていけそうな子供であった。
「曹仁の守る江陵城は食糧も豊富、足りなくなることはありますまい。益徳弟に兵千人をつけて卿に随わせます、卿は兵二千ほどで私の後を追わせてくださればよい。そうして夏水のほうから曹仁の背後をつけば、私が入ったという事を聞いて曹仁は必ずや江陵から離れるでしょう」
 劉備の言葉に、周瑜はふむとうなずく。
 あんたのところは千で俺は二千か、公平ではないが、取り分を少なくさせようというのであればそのぐらいが妥当なところか
 ちらりと一瞬劉備から目を外し、周瑜は唇を湿らせた。
「いいでしょう、私の別部二千と張益徳殿の兵千で曹仁の背後をつくということで、挟撃のお申し出はありがたく受けさせていただきます」
 にっと笑って周瑜は劉備にもう一献と酒をすすめる。
 劉備もその酒を受けて、傍目には穏やかな合意に達した会合のように見えた。
 魯子敬の打算どおりの展開か
 劉備が去った後の幕舎で、周瑜はひとり酒をぐっと呷った。
 周瑜が口一杯にほおばるように含んであふれた酒が口の端からこぼれ、酒で濡れた口元を袖でぬぐうとふんと息をついて周瑜は椅子にどすんと腰掛ける。
 指折り呂蒙隊が引き上げてくるまでの日数を数え、それから別働隊が背後に回るまでの日数を凡そで数えして地図を摘み上げた周瑜は思いきり飲み下した酒でむせ返った。
「まったく子敬兄も面倒なことをしてくれる、巴をあの騙子(ペテン師)にくれてやるなんぞとよくも思いついたもんだ」
 荊州を落としたら西の馬氏に親書を送らなくてはならないが、しかしこれでは東呉の真西にもうひとつ自ら敵を増やしてやるようなものだ。
 ありとあらゆる予想を立てるというのであれば、劉備が曹操と手を組む可能性もないとは言いきれない。もちろんここまでの経過を考えれば、それはゼロに近い可能性ではあるが、しかしそれは完全なゼロではないのである。
 ならば先に取り込んでしまえばよいという魯肅の考えも悪いものではないが、取り込むのであれば完全に取りこんで支配下においてしまうほかには勢力を取りこんだとは言えないという周瑜の見方では生温いものとしか言いようがない。
 おそらくは張飛を先頭に曹仁の背後を突くという計略を劉備に入れ知恵したのは諸葛亮であろう。
 現在のところ諸葛亮の利と魯肅の利というものは完全に一致している。
 少数の兵で荊州に陣を置く権利を残すためにこのような策を弄するのだろうと周瑜は踏んだ。これで形勢は三勢力が拮抗するものになるだろうということも容易に想像がつく。
 しばらく腕組みをして唸りながら、周瑜はため息をついた。
 西の馬氏がどこにつくかで全ての形勢が変わりかねんか
 もし曹操が馬氏を下せば、南と西から北を同じ攻撃して兵力を分散させるという計略は考え直さなくてはならない。
 最良の状態は西と東呉で完全な協力状態を作り上げることができた場合で、得も損もしないと思われる状態は、馬氏が劉備につくこと。
 巴に陣取るべきであろうと諸葛亮は説いたと聞く。それが実現すれば、東呉に攻めこむにも長江を下る必要があり、魏に攻めこむにも難所を通る必要が出てくるものの、こちらが攻めこむことは避けるべき自然の要塞に劉備は陣取ることになる。
 侮ってはならないが、巴に本拠地をおいてしまった後は劉備もさしたる脅威になることはあるまいと周瑜は首を振った。それまでが大変なのだと。
 それまでに、劉備を東呉の幕下に収めることができるか否かが自分にとって曹操とは別の、大仕事である。
 では劉玄徳の弱点はなんだ
 これを陣中であるにも関わらず真剣に考えているあたり、挟撃の目処がついたことで周瑜の頭が暇になった証拠であろう。
 敗けをよくする将と、子敬兄は言ったか
 手強いのはこういった人間であると程普がいつだったか言ったことがある。
 そのときに言ったのは、かつて横暴をはたらき、孫堅も討伐に出た董卓のもとにいた呂布であった。すぐに身を寄せる場を変えることのできるものは怖い、だが能く敗ける将はもっと怖い。
 劉備という男は程普の言う「能く敗ける将」であろうという想像は、劉備の今までの経歴を聞いた上で周瑜が持ったものである。


江陵晩暁7へ続く

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