赤壁逍遥


 中国一の大河と言われれば、それは長江と呉人ならば応えよう。
 春には楊柳咲き乱れ、夏には真っ青な空が昊天に広がる。南の暖かな気候にはぐくまれた米は豊かにみのり、その下流を満たす。
 しかし季節は今秋、九月である。呉はまだ暑い日が続いている。
 長江流域、呉は将軍孫権のもとで文武官が物議をかもしていた。

「絶対降伏するべきです」
 呉主孫権の左手にずらりと並んだ文官が口々にまくしたてている。
「降伏なんぞしてたまるものか」
 孫権の右手に整然と並んだ武官が、檄を飛ばすような大声で叫んでいる。
 孫権は、ふむと弱り顔で両側を交互に見比べた。
 降伏を唱える人間の方が多いような気がする。
 いやだが、兵卒を含めれば軍は少なくない。
 物議の原因は北の魏、曹操からの宣戦布告だ。
 文官の中で、一人だけおもしろそうに、あるいはおもしろくもなさそうにも見える表情で口をつぐんでいる人間を孫権は見つけた。
 魯粛、字を子敬。
 臨淮の出身で、呉に仕えるにかなりの財を民間などに投じたり、また田畑を売り払ったりと景気に貢献している男だ。
 その魯粛は当年とって三十路も半ば、未だにたっぷりとした髭はたくわえてはいないものの、一見穏健派ながら食えない表情で文武官の議論をただ見守っている。見守っているだけで別に口を挟もうともしない。
「閉嘴(だまれ)!」
 孫権は一声怒鳴った。
 主人の一喝だ。堂下はしばらくざわついていたものの、静かにはなった。
「魯子敬」
 孫権の声に魯粛は身体を主人の方へと向け、はと一礼した。
「おまえの意見は?参戦か、降伏か」
 魯粛は少し叩頭し、拱手した両手を胸から眼前へと上げて孫権を真向かいにとらえる。
「私の意見でございますか」
 魯粛の言葉に孫権は頷いた。
 張昭ら文官は無論彼も反戦派であると踏んでいるのか、得たりと魯粛を見ている。反対に主張を無視された形になった武官連中は、貴様下手なことを言わば叩っ切るぞと言わんばかりの形相で魯粛を睨んでいる。筆頭は程普だった。
 しかし、両者の思惑を無視し、魯粛は面を上げて、きっぱりと参戦すべきと応えて見せた。
 これには武官連中は手を叩かんばかりの勢いで歓声を上げ、文官連中はわけがわからんというように顔を見合わせた。
「私の意見をと主が仰せになりましたので、個人としての意見を述べさせていただきますと、私はこの戦は呉軍に勝率があると見ております」
 魯粛の言葉に武官が頷く。
「ただ、戦をするためには呉軍のみではなりません」
 続けて言われた魯粛の言葉に、武官も顔を見合わせて首をかしげた。古参の程普らは、やはり弱腰の文官かと言わんばかりに鼻を鳴らした。
 魯粛は続けた。
「劉玄徳の元には、諸葛子瑜の弟御がおります」
 孫権はそれぐらいは知っているぞと、諸葛孔明だなと相槌をいれ、魯粛が頷くのを確認した。
「聞くところによれば、孔明は三顧の礼を以って劉玄徳公のもとへ仕えに出たということですが、その計や仕えてから度重なる戦で魏軍を撤退させたということ。その孔明を呉へと招じることが必要となりましょう」
 ふむとため息をつき、孫権は堂下を見まわした。
 文官も武官も、一言として発するものはいない。
 話題に上ってしまった当の兄上たる諸葛瑾だけは、弟に会えはしまいかとそわそわしだしている。ふうむと一息唸り、孫権は魯粛をもう一度呼んだ。
「子敬、劉玄徳への使いをせいよ。孔明が呉へと来られるのであれば、それでよし。劉玄徳と同盟を組むとしようか」
 孫権の言葉に武官たちは、単独での戦ではないが妥協しようという程度に、それなりの快哉を叫び、文官たちはそれでも承服しかねるというようにため息をついた。話題の諸葛瑾や彼と仲のよい若い文官たちは、大体和平申し出を考えていたのだが、それも肩透かしを食らった形でため息をついた。

 魯粛は部屋に戻ると、彼が老李と呼ぶ昔からの宰人に劉備のもとを訪れると告げ、そのまま冠を外して牀に横になったが、思い出したように横の椅子に放り出していた布帛を手に取った。
 ごろりと横を向いて布帛をぶら下げ、ひろげると、布帛には墨蹟鮮やかに彼の用間の送ってよこした手紙が現れた。
 周瑜のもとには、それほど性急には使いがよこされていないようだとそこにはある。
 おかしいな、何かあれば真っ先に公瑾のところに使いが行くかと思っていたのだがと魯粛は少し考えたが、それでもこれから自分がすることには全く関係のないことだと思いなおした。
 魯粛は、文官のなかでも周囲からは穏健派だと見られている。
 戦嫌いの穏当な文人という印象が武官たちにはあるのだ。しかし魯粛は外見に反し、下手をすれば武官らよりも攻撃的な性格を秘めている。
 三国共立
 これが魯粛の脳裏に描かれた戦乱の構図だった。
 北に魏、南に呉、どこかに劉備が入るのはしかたなし
 実質的には魏呉二国で大漢の版図を争うのだ。
 諸葛亮は三顧の礼で劉備に迎えられるのに三国鼎立を説いたという。
 北に魏、南に呉、そして西に蜀
 これが諸葛亮の脳裏に描かれ、漢の版図を争う構図として劉備に知られた策だが、魯粛の描く三国共立の構図は諸葛亮が劉備に説くよりも先に孫権の耳に入っていた。
 三国で並び立ち、しかる後、劉備を支配下に置き、荊州を収め、魏と対抗する唯一の勢力へとこの呉を押し上げる。
 考え出せば切りのない想像に魯粛は深呼吸をした。
 指先ほどの意見の重みであったとしても、その目を天下にとどかせる場所に自分はいると魯粛は思う。そしてそれが現実として、覇権を作り上げることに片手を染めている。それはいかほどの快感であろうとは魯粛には計り知れない。
「劉玄徳、曹孟徳、孫仲謀」
 魯粛は布帛を放り出した。
「ここに呉、それから魏、荊州二正面、それは嫌だなあ」
 魯粛はぶつぶつとつぶやいた。
 老李が茶をついで主に差し出して布帛をたたむ。
「荊州にいらしゃると、先ほど聞こえたようですが」
「表向きは弔問だ」
 老李は布帛をもとの椅子に置いて魯粛を見た。
「弔問ですか。どなたの?」
「劉表の二子のところにだ」
 老李はふむとうなずきながら出しっぱなしになっていた墨を片付けた。
 老李は荊州まで一週間から二週間ほどを見積もればよいだろうと仕度にとりかかった。
 ああそうだ、呉主の代役としての表敬弔問ならば黒い官服もと老李は侍女を呼んで自分は主の荊州行きの仕度のために行李を引きずり出すとあれやこれやと指示をだし、魯粛の行李は旅路での保存食で埋まった。
 あいかわらず手回しのいいじいさんだと魯粛は相好を崩して部屋からでる老李を見送ると、弔問用の官服を仕立てるために採寸をしていた侍女に動かないでくださいましよ老爺としかられた。


2へ続く。

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