赤壁逍遥


 ときに子敬殿はという劉備の言葉に周瑜は自分の酒を呷ってから江上を指差した。
「魯子敬と会うのでしたらお急ぎにはならないことです。あと二、三日もすればここにつきますから」
 周瑜の言葉に劉備は納得したようにうなずいて自分も酒を呷った。
 一体この男は協力して曹孟徳を討つということがわかっているのだろうか
 周瑜の言動に、劉備はいささかの不安を禁じえない。
 ここにきて、周瑜という男が線は細く白皙で、江南一の美男子と言われる所以はわかった。男でありながらこれだけの切れ長の二重、きりと結ばれた口元とそろえれば、それが荊州でも界隈一の美男子と評判をとるであろう。しかしここまでの言葉から、この男が風流文化人然とした容貌に反して武人気質の持ち主であることもわかった。
 周瑜が劉備らの参戦を快しとしていないことも露骨である。
 もしもこの男が我が陣営にいたならば、関羽、張飛とも気が合うだろうと劉備は内心に嘆息する。
 しかしどうだろうか、主人の命を承服するこの耐性は趙雲の方が近いだろうかと劉備はいくらか頭の中で周瑜という武将を自分の知っている武将と比較してみる。
 結論は、これだけ自分の構想のしっかりした自己主張の雰囲気をはっきりとまとった武将は今まで知った中にはいないということだった。
 個性といえば、関羽、張飛は比べるものはないだろう。穏やかで忠義に厚いといえば趙雲、知性だけで武術はからきしの諸葛亮。
 まあ恵まれた人間というのはいるものだと劉備は感心した。
 後日、劉備と周瑜が自分抜きで面会したという報を聞いた諸葛亮が地団太を踏んだことは魯粛だけが知る諸葛亮のめずらしい駄々っ子振りである。

 面会のときの話しを聞いた魯粛は周瑜を見てあきれたようにため息をついた。
「そんなふうに言ったのですか、それではまるで手を出すなと言っているようですよ。一応同盟軍だということを覚えておきなさいと言ったはずです」
 魯粛のお説教に周瑜は指で耳栓をして甲板の手すりに身を預けた。
「わかってますよぅ、根が正直なもんで思わず本音が」
 周瑜の言い分に、魯粛も侍っている護衛の兵士もウソをつけと一瞬思う。
「あんたが正直者なら私は上帝に誉められるほどの善人ですよ」
 魯粛の言葉に周瑜と兵士はそんな奴だったらこんなところに従軍してこないってとつっこむ。
 結局のところ五十歩百歩である。
 劉備との談合で蜀陣営は、烏林に趙雲、張飛が陸軍を、夏口に関羽が水軍を駐屯させて樊口に劉備が兵を置くことになった。
 このころ魏軍は巴丘まで船を進めている。
 呉軍の先方隊は黄蓋隊、本隊には甘寧、呂蒙、韓当、周泰、陸遜、潘璋、孫賁、凌統らの指揮艦隊、後方守備で朱桓が柴桑を守る。
 問題は甘寧と凌統である。
 このふたりは仲が悪い。
 甘寧に聞くと、甘寧は凌統を弟のようで可愛いじゃないかと言うのだが、いかんせん凌統は甘寧を父の仇として一方的に嫌い通しており、甘寧に声をかけられても凌統は喧嘩腰でしか応じない。結果として、売られた喧嘩は買うと公言している甘寧とは折り合いが悪く収拾がつかなくなるのである。
 周瑜は息をついた。
 円満にここを収めようと思うのであれば凌統を甘寧と組ませる手はない。
「どう思います」
 周瑜の言葉に魯粛がへと聞き返した。
 程普は好きにしろと言わんばかりに椅子に身を預けきっている。
「甘興覇と凌公績です。ふたりの水軍はかなり水平が高いでしょう。ですから技能的にはふたりを組ませると速さで魏軍を追撃することができるのですよ」
 それには程普が唸り声を上げた。
「折り合いが悪いあのふたりですか」
 周瑜が仕方なさそうな顔でうなずく。
「凌公績は呂子明と組ませるのがよいのでは」
 言ったのは呂範である。
「先だっての江夏征伐で呂子明を凌公績がよく助けたそうではないですか。それでしたら呂子明がまた発奮するかもしれませんよ」
 魯粛が首を振る。
「しかし呂子明と凌公績ばかりを毎回一緒にするわけにもいきますまい。慣れてしまうと別の将軍と組めなくなることもある」
 程普が息をついてそれではこうしようと口を開いた。
「凌公績をあえて甘興覇と組ませてみようではないか。凌公績にこらえ性があれば甘興覇と折り合いをつけて承服するでしょうが、ここで堪え性をつけさせるのもよい。無理であれば凌公績はまだ駄々っ子だということでしょうな」
 船室内が一気に静まり返った。
 凌統を駄々っ子扱い。
 さすが長老と周瑜はじめ、魯粛、呂範も同時につぶやく。
 もっともこの軍の指揮官のうちでは凌統が年若いことに変わりがないのだが。

 この決定に唖然としたのは凌統、甘寧、呂蒙である。
「はい?」
 甘寧が周瑜に聞き返す。
「今回、甘興覇には凌公績の面倒を見てもらうことにした」
 甘寧はどんと胸を叩いてにっと笑うとお任せくださいと言ってから凌統を見た。
 凌統は口を開けたままで周瑜を凝視し、その横では呂蒙がそれじゃあ俺はどうなるんだと不安そうにする。
「呂子明には私の横についてもらう」
 呂蒙がほっと息をつくさまがなんとも平和で周瑜は内心苦笑した。
 嫌ですときっぱり言ったのは凌統だった。
「父の仇と隊を組むなんて俺は絶対に嫌です」
 周瑜の目がきつくなり、凌統を見るが凌統は口をきりりと結びなおして周瑜の方を見返して譲る気配がない。
 凌統をつついたのは甘寧だ。
「お子様よぉ、上意下達っちゅう言葉を知っているか」
 横で呂蒙が甘寧を睨む。
「そういうふうにあんたもからかうようなことばかり言うから公績に嫌われるのだ」
 呂蒙の茶々に、それも違うのだがと凌統が内心で反論したことは呂蒙の知ったことではない。
「凌公績、気に入らないのもわかるがたまには我慢しろ」
 周瑜の言葉に凌統ははいと不服げにうなずき、それから不満を爆発させんばかりの語気で甘寧に向かってどうもよろしくお願いしますと言い捨ててふんっと鼻息荒く部屋を出ていった。
 大丈夫なんだろうか
 呂蒙は不安げに凌統を見送った。

 呂蒙、字を子明。
 孫権は彼を決してバカではないと見ている。
 これは呉という軍の特徴でもある。
 将軍の中に文武をそろえるものが多いのだ。
 したがって武略は武略、国内事情は国内事情とはっきりと分野がわかれるため、各個が自分の専門の分野に専念できるともいえる。
 その点蜀の諸葛亮は不憫であった。
 軍師と国相という二役をこなす羽目になったからである。もっとも彼の場合は人間不審気味でもあったように思える。彼は生涯必要以上に自分の手で最終的な仕上げをやらねば気がすまないような性格であったからだ。この傾向は秦の始皇帝にも見える。その結果よい後継がなかなか見出せなくなるのは仕方のないことでもあるのかもしれない。
 しかしこの呂蒙も、今のところ智将振りはまだまだ発揮に到っておらず、魯粛から蒙ちゃんと呼ばれるに甘んじている。
 ちなみに魯粛としてはこれでも可愛がっているつもりである。


13へ続く。

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