赤壁逍遥


 呉水軍が魏水軍と対峙したのは建安十三年の十二月である。
 十二月というのは後漢書の律暦によれば大寒を含む月であり、この年の十二月は西暦では209年1月20日から2月半ばあたりとなる。
 この時期長江流域は平均気温マイナス10℃ほどで、野外戦には向いていない。
 もっとも北で生活している魏軍の人間は慣れているのかもしれないが。
 また霧かとため息をついたのは魯粛である。
 こう霧が深くては対岸の魏軍がはっきりと見えない。
「近くまで行かねばどれぐらいの船軍が駐屯しているのかわからんな」
 魯粛の言葉に諸葛亮が賛同する。
 呉軍の兵士はなんでこの男がいつまでも呉軍に留まっているのかよくわからないが、しかし魯粛が放っておけと言うものを無理に叩き出す必要もないとまったく気に留めることはない。
 魯粛の軍人姿に嘆息したのは何も周瑜だけではない。
 呂蒙はじめ呉の将軍は賛軍校尉にふさわしい魯粛の鎧姿に放心したものである。
 そもそも魯粛という男、決してなよなよしくはないのだ。
 いかにも文人然として、齢一五にして壮年の落ち着きがあると言われたほどおっとりしている。しかし一方では容貌魁偉と言われるほどしっかりとした骨格を持っている。
 着やせするものでと当人は言うが、鎧を着た魯粛を周瑜が将軍のようだと言ったのは決してお世辞ではない。
 その魯粛は自分の剣を鞘から抜いては戻して遊んでいる。
 かちゃんかちゃんと音を立てながら甲板を闊歩する魯粛の様は傍目には一目で文官であったとは看破できないだろう。
「誰か、つなぎの板を下ろせ」
 楼船から楼船へ移るのには苦労はない。
 移動中であっても船と船の間に板を下ろすだけで江南人は船を移動してみせる。
 ここまでは周瑜の船に並ぶのは程普の船で、その後ろに魯粛らの船がつく形で長江を上ってきた。
 昼になって暖かくなるとそれでやっと霧が晴れ、魏軍の船団がはっきりと見えるようになった。
 ほとため息をつくのは周瑜である。
「五十万だ八十万だというのも見た目にはでたらめでもないように思えるじゃないか」
 片方の口角をあげながら周瑜はにやにやと魏軍を眺める。
 魯粛はその横で数とはったりは呉軍でも毎度のことですがねとやはりにやにやと魏軍を眺めながら応えた。
「は、なかなか壮観」
 言ったのは呂蒙である。
 積荷の上げ下ろしが終わり、ここに陣を張る準備ができたと呂蒙は拱手して周瑜と程普に向かって言い、それから魯粛には賛軍校尉殿には護衛をいくらかこちらでお付けしますと笑いかけた。
 魯粛がにこりと笑い返すと呂蒙はそれで失礼いたしますともう一度拱手し、それから陣の様子を見に船を下りた。
「蒙ちゃんは勉強は苦手だが熱心でいい青年だな」
 魯粛が腕組みをして感心して見せるのを、周瑜と程普はくすくすと笑った。
「蒙ちゃんか。あれも初陣では一五、六の少年だったがもう字もきちんとあるのです。蒙ちゃんは勘弁してあげたらどうです」
 笑いながら言う周瑜に魯粛はやはりくすくすと笑いながらまだ蒙ちゃんでいいでしょうと呂蒙が聞いたら必死に抗議するであろうことをさらりと言う。
「なかなか思いやりのあるいい男だ。気に入っておりましてね、私は」
 魯粛の言葉に周瑜はおやとでもいうような顔で魯粛を見返した。
「蒙ちゃんというからバカにしているのかと思いきや、ほっほう、お気に入り、か」
 手すりに背を預け、からかうように言う周瑜を見返して魯粛は口をすこし尖らせるようにした。
 いつぞや孫権が、呂蒙は決してバカではない、知識という名の水をすこし与えれば雨花石のように色を煌かせると詩のような、普段の孫権からは口にすると思えない言葉で呂蒙を褒めていたのを思い出したのだ。
「もし」
 何かを思案しながらのような魯粛の言葉に周瑜はふいと魏軍から魯粛の方へと目を向ける。
「もし蒙ちゃんが何か思いついたようなら、それを採用してみるのもひとつの手だな」
 ふむと周瑜が考え込む。
「臨機応変に、発想力に富む男ですかね、あれは」
 空を仰ぎながら周瑜が魯粛の方に問いかけた。
 曇った空には鳥がいくらか飛んでいる。
 身を反転させて魏軍を眺めやり、魯粛は頬杖をついて息をひとつ大きくついた。
「そりゃ私よりも都督の方がよくご存知なのではないですかね。私はまだ従軍経験というものがないもんで。臨機応変やら実際の作戦やら何やらはまだよくわかりませんよ」
 呂蒙は投資の対象になるだろうか
 魯粛の呂蒙を見る目は今までとはすこし異なった光に包まれた。


14へ続く。

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