赤壁逍遥


 ぶへぇくしょい!と派手なくしゃみをして甘寧はちきしょうとつぶやいた。
 周りを見まわすと、部下たちが珍獣でも見るように甘寧を眺めている。
 彼の部下たちはほとんどが黄祖のところにいたころからの部下である。その彼らですら甘寧でも風邪をひくというのははじめて知ったことであった。
 何見てやがるとでも言うようにちらちらと部下を見まわす甘寧の目つきに、部下たちは慌てて自分の仕事に戻る。
「誰か俺に懸想してるな、それなら都督の奥方に負けない美女がいい、それもとびきり胸も尻もつきのいい女だな」
 ふふんと笑いながら甘寧は内心で、子明にうつされたかと呂蒙の幕舎のほうをちらりと見やった。
 もちろん朝、酒を飲んだ宴会の幕舎でトドのように寝転がっていたことを考えれば風邪をひいても文句は言えないようなものだし、甘寧もそれほどバカではないので呂蒙のことを本気で逆恨みにしているわけではない。
 甘寧に風邪をひかせるほど懸想しているのは確実に美女ではない。
 凌統である。
 それも彼は縁切り地蔵にお願いし、縁切り寺でお百度を踏もうかという次元で懸想しているのである。
 馬のたてがみを梳かして三つ編みに編みながら、甘寧はもう一度くしゃみをした。
 一方凌統のほうは、甘寧を探して足取り軽く歩いていた足をぴたりと止めた。
 戦にまぎれて亡き者にしてやるとは決めたものの、さてどうしようか。もちろんヤツ(甘寧)は泳げるだろう。甲冑を着けているとはいえ、甘寧の部隊の荒くれ者は荒くれ者に見えてかなり統制のとれた部隊なのである。あっさりと助け上げられるに違いない。では矢を射掛けようか。方向が違う。
 むむうと腕を組み、凌統はそれから髪を掻いて前髪の三つ編みまでくしゃくしゃにした。
 しかしどれだけ考えても間違えた振りをして矢を射掛けようというぐらいしか凌統には思い浮かばないのであった。
 ヘィッ、ネィガチョゥラオトウ(けっ、あのくそオヤジ)!
 凌統の一言で、甘寧はまたヘァックショイ!と派手なくしゃみをして馬を驚かせた。

 風向きが変わるのを待って火をかけますと言った周瑜に、程普は大きくうなずいた。
 なるほど、危なげのない戦い方を選んだか
 周瑜の提案は、程普にとって多いに満足できる提案であった。
 程普思うに、戦というものはこうでなくてはならないのである。
 敵を知り、己を知れば百戦危うからずという言葉どおり、状況に合わせて臨機応変に作戦を変えることはできても、作戦があやふやではいけないのだ。
 しかし現在流れの位置は呉軍も魏軍もほぼ同じ、風向きは魏軍に有利、もし曹操が策略家であったならば、この状況を利用して逆に先に火をかけてくるということも考えられる。
 そうすれば逆に呉軍の船のほうが危うい場合もある。
 もっとも前哨戦の魏軍蒙衝闘艦の動き方を見たかぎりでは、火をかけた舟が進んできても呉軍艦隊はさっさと逃げて魏軍艦隊が燃え落ちるのを待つ程度だろうとも思えるが、油断は禁物である。
 眉根を寄せてから程普はその光景を想像して慌てて首を振った。
 ぞっとしたわけではない。
 あまりにもバカな光景が脳裏をよぎったのである。
 燃え盛る魏軍艦隊、その間を縫って挑発するように戦鼓をならしている甘寧、凌統、呂蒙らの艦隊、そしてそれを指揮して笑う周瑜。
 どうにも程普には若い将軍たちは悪ガキの集まりに見えているようである。
 それに引き換えて魏軍の将軍たちはといえば、さすがに曹操が亡き孫堅と時を同じくして立っているだけのことはあって皆呉の将軍にくらべて老けている、いや威風堂々としていると言い直しておくべきであろう。
 先に火をかけられたらどうすると言う程普に、周瑜はふむとうなずいたが、大丈夫でしょうと微笑した。
 まったくこの小僧の楽観的なのは誰に影響されたのやら
 程普はふんと鼻を鳴らすが、周瑜の楽観主義はもともとであり、別に故孫策に影響されたというわけでもない。もっとも周瑜が楽観的になるときには成功すると踏んでいる何かがあるからだろうと程普も信じてはいる。
 前哨戦を覚えておいでですか
 周瑜に聞かれて程普はうむと曖昧にうなずいた。
「あの様子では火を使ってぶつけてくるなどということはできませんよ。ご覧になりましたでしょう、興覇や公績の艦隊がちょいとつついただけで落水するようでは自軍の舟に火をかけるなどできませんよ」
 なるほどと程普はうなずいた。
 周瑜は続ける。
「馬の機動力では呉は魏と互角かそれ以下になるかもしれませんが、舟の機動力は確実に勝っております。自軍の舟よりも速い舟に当てることはできません。ハエを追いかけるときと同じですよ、自分の手よりも速く飛ぶハエをつぶすのは至難の技でしょう」
 この例えにはいささか笑わせてもらって程普は笑い声を押し殺したままで魏軍はハエかとつぶやいた。
 ささ、まあもう一杯と酒を注ぐ周瑜の手から酒瓶を取って程普が周瑜の杯に酒を注ぐ。
 周瑜は左手で袖をおさえて杯に酒を受け取ると、それをまた左手で覆うようにしてぐっと呷った。
 これは儒教の習慣である。
 漢以降の儒教文化の中では礼儀というものが非常に重んじられている。
 年輩の人間から酒を受けるときには左手を添えて、酒を呷るときには左手で杯を覆って。
 祝杯を挙げるときなどはまったく関係はなく飲むものの、さすがに程普と二人だけで杯を受けるときなどには周瑜も古礼にのっとった作法をそつなくこなす。これは生まれがよいだけのことはあるかと程普が感心することの一つである。
 私には未だに曹孟徳という男が読めないのですよと言った周瑜に、程普はそれは当然のことだと鼻を鳴らした。
 程普に言わせれば、周瑜のような小僧が曹操を理解しようなどと言うのは小賢しいとしか言いようがないというところである。
 曹操は周瑜と比べれば、彼の父親と言っても差し支えはないほどに年が離れている。その曹操を理解しようというのは父親の一生全てを理解しようというほどのものである。周瑜や蜀の使者として付いてきた諸葛亮が曹操を根底から理解するには今の倍の時間が必要だろうと程普は思う。
「理解しようとするからいかんのですよ」
 程普に言われて周瑜はため息をついた。
「しかし敵を知り己を知ればという言葉があります。兵法上敵のことを知らなければならないのでしょう。なぜ理解しようとしてはならんのですか」
 知ることと理解することが違うからだなと程普は周瑜に返す。
「兵法上、敵を知るというのは敵の内情まできちりと把握することを言うが、理解するというのは難しい、なぜそのようになったかを知らなければならんからです。大学にあるでしょう、此れ物を格すと謂うは、此れ之を知るに至を謂うなりと」
 そういえばそんなものをやったような気がすると周瑜は目をそらした。
 周瑜の興味というのは大概兵法や陣形などに偏っており、それなりの知識はあるものの教養書は幼いころに小学で教わった程度にしか重視していなかった。それをいきなり持ち出されて周瑜はうむと唸ったのだ。
「曹孟徳を理解するにはあと二十年は生きねばな」
 程普に苦笑されて周瑜ははいと素直にうなずいたが、二十年も曹操の研究などしていられないと思ったのも事実である。
 目下程普が理解できないのは曹操よりも、彼の連れてきた魯粛という男である。
 もとは商人だというが、しかし魯粛というあの男はどうも周瑜のように典型的な読書子という様子でもない。文人然とした様子に反戦派かと思いきや文官の中で唯一徹底抗戦を説いて引かなかったのはあの男だけであった。また穏やかそうな表情であっさりと蜀との提携をまとめてきたのもあの男だ。
 ふん、どうにも解せない男だが、時期をつかむのがうまいのはさすがに商家に生まれただけのことはあるか
 ふうと息をついて程普は、今は目の前にいる青年の相手に徹することにした。
 少年のころから見ているが、この青年はどうも魯粛という男とは違って陸遜と同じように典型的な良家の子息だと程普は見ている。実際、この戦で風上をとって火をかけるという火計は教科書どおりの戦い方だ。
 呂蒙は左伝を勉強中である、モノになれば指揮官として曹操や周瑜と肩を並べることになるだろう。
 魯粛という男も十分武官としての仕事もこなしている。
 どうにも魏に比べて策を弄するような人間の少なかった陣営にも奇策を弄する人間がいくらも増えてきたようだなと程普は考えて酒を呷り、さてこれからガキどもがどう変わるかなとにやりと笑った。


18へ続く。

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送