赤壁逍遥


 諸葛亮、字を孔明。
 山東省は瑯邪の出身にして呉国の文官諸葛瑾の弟。
 一門の文士として知られ、三顧の礼で劉備に迎えられた「臥龍」とはすなわち彼である。
 魯粛は劉表を弔うと、劉jへは拱手をして劉備を尋ねる旨を述べた。劉jはつかれたような笑顔でそれを承諾する。
 通された部屋は広めの部屋だったが、魯粛は扉を開かれてから一目中を見て内心に苦笑した。
 これはすでに皆々勢ぞろいといった様子だな
 真中の椅子に腰掛けているのが劉備だろう。その横のひょろりとした青年が諸葛亮であると見当がつく。
 弟の方は顔が兄よりも少し丸いようだ。
 反対隣に並んでいるのは関羽と張飛、たっぷりと豊かな髭を蓄えているのが関羽でその横の上から叩いても潰れないと思われるほどのがっしりとした男が張飛と魯粛は見当をつける。
 諸葛亮のわき、一歩下がったところにいるのが趙雲か。これだけの将兵で魏と渡り合ってきたというのだから恐れ入る
 そんなことを考えながらも魯粛は、劉皇叔にははじめてお目にかかると型どおりの挨拶を述べた。
「請起(お起きください)」
 劉備の言葉を魯粛は脳裏で反芻した。
 うるさい声ではないのだな。どちらかといえば低めの声か
 これが金切り声だったらばここまでのしあがってきただろうかと魯粛は思う。
「此度私がこちらを尋ねたのは、私ども呉の君主孫仲謀のところへ曹孟徳からの書状が届きましたゆえ。こちらにおられる軍師や将軍はいくどか曹孟徳と干戈を交えたと伺います。よろしければ呉にいらして頂けないかとの旨申しに参りました」
 劉備の口角がわずかに上がり、魯粛は内心に笑みをこぼした。
 この様子ではすでに呉が彼らに声をかけるのは予想済みであったか
「ところが」
 魯粛の弱気な言葉に諸葛亮の口角が上がる。
「文官はといいますと、降伏すべきであると言う者がほとんどです」
 諸葛亮は口元を袖で覆い、魯粛は得たりと口元を引き締めた。
「私は、それでは曹孟徳の戦の様子がいかようかをご説明すればよろしいのですかな」
 諸葛亮の言葉に関羽が口角を上げた。
 目を伏せるだけでうなずいたことにし、魯粛は劉備の方を見た。
「いかがでしょう」
「好!それでは私どもも参戦いたしましょう」
 こんどこそ魯粛は内心でにたりと笑った。
「諸葛先生に私と来ていただければなおよいのですが」
 この言葉には諸葛亮がうなずいた。
「好、それではご一緒いたします」
 打ち合わせができているのか、劉備はうなずくと魯粛に拱手し、魯粛も慌てて拱手を返した。

 夫の琴の音をここ数日聞いていない。
 夫の様子は戦前の緊張に包まれている。いや、興奮というほうが正しいのだろう。
 普段ならば息子たちが寄っていくと嬉しそうに書を広げて見せたりする周瑜は、いまや家の中でもひとりの趣味人と化した。いくらかの兵法書を引っ張り出してはそれらを並べ立ててあれではないこれはどうだと何やら布帛に書きこんでいる。
 おっとりとはっきりした発音で喋る言葉も、今はすでに故郷の舌っ足らずで早口な言葉になることが多い。
「無謀なことをする」
 周瑜の独り言は妻にもよく聞こえている。
 無謀なことが何をさしているのか、妻には少しわかった。
 所詮は夫のことだ、今夫の頭の中には戦のことしかなく、「難道是、不対。可是」という言葉は困っているように見えても部屋の中には策につまったときの様子はない。相手の出方がわからないのだろう。
「それぐらいの見当はつく」
 妻は独りでつぶやいた。もう10年以上もあなたの妻ですからと内心で付け加えて。
 つまらない
 妻はふいと夫の書斎の扉を離れ、自分の部屋へと踵を返した。

 周瑜が孫権の元へと帰還し、軍議が開かれた。
「曹孟徳は漢の丞相、強大な軍を持ち、今までこれを拒むものは長江のみ、今や曹孟徳は荊州水軍を手に入れ、その兵は水陸に有り。戦は得策ではございません」
 文官の一人が進言したが、その言葉を周瑜は然るに有らず!と遮る。
「曹孟徳がいかに漢丞相と名乗ろうとも、この乱世にあっては逆賊に過ぎない!お考えあそばされよ、将軍!将軍は神武雄才と父君孫文台、兄君孫伯符の烈なるをもって江東に割拠し、その地は数千里、兵もまた足り、英雄として天下に横行する賊を漢が為に廃せんとなさいます。曹孟徳は自ら死なんと災いを招き寄せているのです。今彼は何も憂いがないように戦をしかけてまいりました、ですが、未だ北に平安なく、馬超、韓遂が関の西にありますのは必ずや曹孟徳の後顧の憂いになるもの。馬を捨てて船を使うは中国人にとって長所にはなり得ませぬ。これから冬にさしかかり、馬を足にする魏軍は馬にやる馬草もなくなるというのに遠征をして江湖に至る、彼らは土地には不慣れゆえに必ずや疾病がありましょう。これら四つは用兵上に禁ずるところながら、曹孟徳はあえて戦を仕掛けて今日にいたるのです。この周瑜が精鋭三万を得たならば夏口に進行し、将軍が為にこれを撃破いたします!」
 周瑜の低めの声が堂下に響き渡る。
 しばらく何かを考えていた孫権はふと口を開く。
「老いぼれた賊が漢に立って久からんと欲するか、袁紹、袁術、呂布もいなくなり、劉表と私がここにいる。いくらもの英雄が消えて、私はここにいて、私は老いぼれとは両立できぬと。公瑾の言葉は檄に富んでいて、私と意見があった」
 独り言のようにいい、それから孫権はにこりと周瑜に笑って見せる。
「天は私に公瑾をくれた」
 いや、そういうことではなくてだな、私は亡き父上と兄上におつかえしてここにいたるのだが、ああ、ま、いっか…
 見当違いの返答に周瑜はかくっと首をうなだれたくなったが、持ちこたえた。
 もっとも周瑜自信の感想もどこかずれている。
 それでこれからどうするんだ
 魯粛は内心でずっこけた。
 孫権はふいと立ちあがり、横に置いていた剣を抜き払うと白刃をきらめかせる。しゃん、という鈴でも鳴らすような音が堂下に響いた。ごとりという重い音がその後に続く。
 机の角が床に落ちていた。
「周瑜の意、私の胸中と相違ない。これ以上に反論するものはあるか!あればこの机同様に切ってやる」
 しんと静まり返った堂下には一言の反論もありはしなかった。
 周瑜は三国一といわれる相貌をほころばせる。
 父や兄とはまったく反対におとなしいようでいて、血は争えんものだ。この場に孫伯符がいれば有無を言わせずに曹孟徳に対抗することを決めただろう
 当の周瑜も人のことは言えない好戦派の男で、なかなかにこの状況を楽しんでいることは間違いがない。知略に富むとはよく言うが、どちらかというと狡賢いところも幾ばくかあるようである。孫策の片腕として策融を撃破し、劉?を撤退させた経験もある。
 孫策が声高に開戦!と叫ぶ様子を周瑜はまざまざと思い浮かべることができる。
 おっとりした孫権には孫策ほどの迫力がないことは確かかもしれない。
 思い出すにつけ、周瑜はあの馬鹿野郎と毒づかずにはいられない。
 それにしてもと周瑜はちらりと堂の一番端にいる客人を盗み見た。
 格子の扉の脇にたたずむ長身の男はあくびをしている。
 魯子敬は策士だな
 周瑜はふんと息をついた。


4へ続く。

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