赤壁逍遥


 劉備と何を提携するでもなければ――春秋の昔のように版図をいくらか譲るというような約束での契約ではないということだが――軍師を押さえて二正面の戦を避けられるわけだ。そこまで考えてかは知らないが、少なくとも二正面交戦を避けたかったことだけは確かだろうし――二正面交戦ともなれば軍事力は半減しかねないことを考えると――その選択は絶対に正しい。したがあの男も不躾な。出会ったその日にうちの妻を曹操に献上すれば戦にならずにすむと言ってくるとは
 周瑜は不機嫌に磨きをかけたが、もっともこの言い分にもいくらかの語弊はある。
 元はといえばこの戦における諸葛亮の曹操分析を聞き出したい周瑜が開戦の意なしと言ったがため、開戦してもらわねばならない――なぜなら呉蜀連合で荊州を手に入れなければ魏が荊州を掌握することになり、劉備は地盤を固めることができず荊州をまず足がかりに取っておくという諸葛亮の三国鼎立案も失敗する恐れがあるためである――諸葛亮としては魯粛に開戦への助言を頼まれたという大義名分の元に周瑜孫権ラインの焚き付けをするべく、まず馬である周瑜から落とそうとしたのだ。ところが言い方がまずかった。元来人を馬鹿にする癖のある諸葛亮はここでまた周瑜の妻が三国に名立たる美人であることを利用した。
 曰く、曹孟徳へあなたの奥方と亡き孫伯符の奥方を献上すれば、曹孟徳は兵を退くでしょう。なにしろ曹孟徳は銅雀台に奥方たち二喬を置きたいと言ったそうですから。
 にやけた顔でこれを言われた周瑜は怒り心頭に発し、いや違う、少しむっとして口を開くと一言
「どこの誰が妻を人身御供にできるか」
 と発した。というのが真相である。
 しかし周瑜としては、この焚き付け方にいささか不興を催した。
 この男は諸葛亮という、曹孟徳の敵方の軍師を務めてきた経験には一日の長のある男に対して、少なからず分析的な、理論的な説明で開戦を強調してもらえることを期待していたのである。そこへまったく関係のない妻を持ち出されては、諸葛亮が周瑜の不興を買うことは必至であった。付け加えれば、兄とはえらく違う、兄よりも、どちらかといえば根が暗そうな男だ、これが周瑜の諸葛亮への第一印象であった。

「大体だ」
 周瑜の絡み酒にはこの老陳は毎回辟易させられる。
「なんだってまたあの男は呉に来なかったんだ。奴の兄貴は呉にいるんだろうが。兄貴と顔を合わせづらいだこん畜生め、なにさまだってんだバカヤロー、俺は兄貴に会いたくても会えないんだぞこら、自慢するんじゃねえ」
 決して酒に弱くはない周瑜だが、白酒を椀に六杯も七杯もなみなみと注いで一息に飲み干せばそれでも酔いが回る。
 その調子で一緒に飲ませられながらぶつぶつと言われればうまい酒もまずくなるというものだ。
「老爺、兄君さまの言葉を覚えておいでですか」
 老陳の言葉に周瑜はしれっとしてなんだと聞き返す。
「いい話をしながら誰かと楽しく飲む酒のことを酒を飲むと言うのだという話です」
 周瑜はがんっと音を立てて椀を置くと老陳の前で突っ伏した。
「しょうがないじゃないか。文句を言えるところはおまえのところぐらいなんだからぁ」
「老爺、とっときの古酒を出しましょう」
 とっときの古酒という言葉で周瑜はがばと跳ね起き、なにやら一大決心でもしたかのような面持ちでうなずくと、自分の椀をずいと差し出して老陳を見ながら古酒を待つ。
 この仕草だけは子供のころから変わらなんだな
 老陳は苦笑しながら背後の棚をあさる。
 子供のころの周瑜も白雲団(日本の白玉団子のようなお菓子)をねだって老陳の妻がそれを作ると自分で椀を机の上に出してくると、なにやら一大事でもあるかのようにそれを待っていた。
 悪ガキふたりが遊び疲れて帰ってくると毎回のように菓子を取りに来たもんだ
 老陳の思い出話は周瑜の感知するところではない。
 老陳の古酒はすでに濃くなりきっていて、それまでに白酒をあけまくった周瑜は二杯目で机に突っ伏した。
 今度こそ聞こえてくるいびきに老陳は、やっと解放されたかとため息をついた。


5へ続く。

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