赤壁逍遥


 話は前後する。

 このとき水面下では、天下に構想をもつ男たちの駆け引きがすでにはじまっていた。
 まず駒を動かしたのは魯粛である。
 この男は見かけこそおっとりと、文人肌といえば聞こえはいいが人当たりのよさそうな一見して武術には心得がないと知れるような男である。
 呉の文官たちの間でも、この男が好戦的であるという噂はまったく聞かない。
 大体にして、中立の争いを好まない男として適当に名前は知れていた。
 劉備の参謀である諸葛亮の兄、諸葛瑾と同じ時期に呉に参じた男で、古参とは言い難い。
 それでも、孫策の死に際して孫権の招聘に応じた魯粛は、その席で三国鼎立を孫権に説いて呉の幕僚入りしたという過去を持つ男でもある。
 もっともこの三国鼎立を魯粛が説いたという話は、呉の中でもあまり知られていない。
 孫権にのみ、魯粛がもらした構想であった。
 曹操からの親書を孫権が手にしたにあたり、魯粛がまず提案したのは荊州に客として陣取っている劉備と手を組むことであった。
 魯粛が提じた三国鼎立という構想を持つ、もう一人の男がこの諸葛亮である。
 諸葛亮は劉備に仕えるにあたって、この三国鼎立の案を提じたという。
 このふたりが対峙したのは荊州の劉表が死んだときである。
 魯粛は慰問という名目で荊州を尋ね、諸葛亮は呉からの使者を待ち構えた。
 兄からの早馬は早々に荊州の弟に、魯粛の荊州慰問を報せていた。
 同じ三国鼎立の構想を抱くもの同士、利害はここで一致を見たのである。
 国内ではと魯粛が切り出した瞬間に、諸葛亮は思い描いていた通りの問答ににやりと笑った。
 口角を上げた諸葛亮に、魯粛が内心で勝利の祝杯をあげた。
 この瞬間にふたりの構想は実現への一歩を見た。
 魏軍に我々が勝利した暁には、しかるべき折を見て三国の鼎立が実現するであろうとふたりが各々その版図を脳裏に描いたことは疑う余地はない。
 ここで周瑜の二国並立の構想は崩れた。
 周瑜の窺い知れないところで、彼のものとはまったく異なる構図を持った二人の合意に周瑜がまず一度計画の挫折を見るのは翌年のことである。
 荊州から呉へ
 ここからは魯粛と諸葛亮の攻防である。
 軍事のことはまったくわかりませんよと苦笑する魯粛に、諸葛亮はこれだけは兄とほとんど変わらぬありったけの笑顔でそんなことはないでしょうと笑い返した。
「皇叔も時には北の水が恋しくなるのでしょう」
 荊州から柴桑までは船で六日ほど、早ければ四日ないし五日ほどでつく。
 急ぎもしないと立ち寄った途中の宿で、魯粛は楊州の名菜をいくらか頼むとそれらを諸葛亮の目の前に並べあげた。
 このころの火力はそれほど強くもないため、料理はほとんどが煮物である。
 諸葛亮は並べ立てあげられた料理の数にあきれたようだったが、それから大きく息をついた。
「やはり皇叔は北の人間ですから、北が恋しくなるのは仕方ありませんが」
 諸葛亮の言葉に魯粛はにこりと微笑んだ。
 諸葛亮の方は端倪するように魯粛を見て急ぐのではないのですかとすこしばかり不機嫌そうに問いかけた。
 彼のといには魯粛は微笑を浮かべたままでそうですねと首をかしげ、それからありきたりな料理を三皿ほど残して残りの皿すべてを彼の船の漕ぎ手たちのところへと運ばせる。
 さすがに江東一辺では名を通らせた諸葛瑾の弟というところか
 諸葛亮の兄、諸葛瑾は魯粛が呉に参じたのと同時期に、弘咨という人物の推薦で孫権の賓客として会稽に招かれ、呉の幕僚となっている。
 細面をからかわれる諸葛瑾ではあるが、度量の広さと礼儀の正しさでは文官の中でも抜きん出ている。
 学問も通り一遍の耳学問というわけではない。
 謎をかければきちんと返してくる男でもある。
 もっとも賢しすぎるというのは諸葛瑾の嫌うところで、実子の諸葛恪でさえ賢しすぎると苦々しげにため息をつくことがしばしばだ。
 孫権や他の文官は諸葛恪の賢しいのを、賢いと褒めるが、父親だけはそれに常々苦言を呈して息子に逃げられている。
 言外に、魯粛が北、つまり魏を狙うのでしょうと言った言葉に、諸葛亮は北の人間ですからと返した。
 南面するのは皇帝である。
 よもや陛下に取って代わろうともここで考えてはおるまいに
 魯粛はふんと鼻を鳴らすように内心で言い放った。
 商人上がりのお世辞か
 とるにも足らん男のようだと諸葛亮は魯粛の評価を下した。
「ハヨウには周公瑾が」
 魯粛の言葉に諸葛亮はぴくりと眉を動かした。
 周瑜
 この名は兄からの信でもよく見かける。
 呉にあって、ほぼ絶対的な信頼を君主から寄せられている男であると聞く。
「彼にはまだ帰還命令は出ていませんよ」
 諸葛亮はさもありなんとうなずき、酒を飲み干した。
 最高位に近い将軍に帰還命令が出ていないということは未だに開戦準備はひとつもしていないということだ。
 驚きもせずにうなずいてはみせたものの、本来真っ先に孫権が使いを送ると思われていた周瑜に、未だに帰還命令が出ていないというのは諸葛亮にとってすこしばかり意外なことであった。
 兄からの信に少なからず名前を載せている周瑜という男は、孫権の兄の代からの重臣であり、孫権もまた実の兄とも言わんばかりに慕っているときく。
 なにかを相談するには、まずこの男に信がいくかと考えていた諸葛亮の面食らった様子が、ほんの微弱な空気の変化でわかると、魯粛は脚を組みなおし、こほんと咳払いをして笑いの発作をこらえた。
 周瑜への信を押さえたのは魯粛である。
 呉領内の構想の衝突は、諸葛亮の感知するところではない。

 二国並立を提示する周瑜の構想は、魯粛の三国鼎立の構想にとっては障害にしかならない。
 周兄を呼ぶかとつぶやいた孫権に、魯粛はわずかに首を振ってそれをとめた。
 訝しむように魯粛の方を見る孫権に、魯粛は急ぐべきではないでしょうと告げた。
「周公瑾はハヨウで水軍の練兵をしております。最終的に水軍を出すのでしたらぎりぎりのところまで精鋭を訓練した方がよろしいかと」
 おざなりな説明で、これで孫権が納得するとは思えなかったが魯粛は信ではただ曹操からの親書の内容だけを記し、水軍の練兵に一層力をいれてほしいと伝えるようにと孫権には頼んだ。
「理由は追々きちんと聞かせてもらう。そうだな、今夜酒の肴にでもさせてもらおう」
 やはり一筋縄ではいきはしないかと苦笑しながら、魯粛は持ち前の人のよい微笑を孫権に返した。
 この微笑の内側に、きれいに磨き上げられた諸刃の剣が隠されていることを文官たちのほとんどは知りはしない。
 しかし孫権は、人好きのする笑顔がときに憤怒の夜叉よりも怖いことを知っている。
 なんといっても、やはり人好きのする笑顔に阿修羅のような憤怒を隠していることのある周瑜が兄の幼なじみであり、自分が兄とも慕う人間である。
 類は友を呼ぶらしい
 孫権は苦笑いを浮かべながら魯粛の微笑を見やった。
 夜になって、魯粛は主とふたりきりの酌をしながら三国鼎立の構想をもう一度孫権に話し出した。


6へ続く。

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