赤壁逍遥


 これが諸葛子瑜の弟かと孫権はまじまじと諸葛亮を眺めた。
 諸葛亮は拱手し、呉主孫仲謀にはご機嫌よろしくと型どおりの言葉を口に上らせた。
 延々と続く諸葛亮の切り口上を手で制し、孫権は椅子に腰をかけながら魯粛と諸葛亮にも席をすすめる。
「切り口上はそれまで、本題はすでにこの子敬か、あるいは子瑜から聞いているであろう」
 孫権が諸葛瑾の名前を口にしたことで、諸葛亮は口元をかるく押さえて眉をしかめた。
「兄が、そう軽く国の事情を他国にいる弟に話すと思っておられる」
 問いかけるような諸葛亮の言葉に、孫権が顔をしかめた。
「子瑜がそのように軽々しいとは思わん、ただ曹孟徳から書状が届いたことぐらいは知っているだろうと聞いたまでだ」
「それはようございました。兄を貶められては適いませんから」
 まだすこし不機嫌な諸葛亮の言葉に孫権は嘆息して茶をすする。
「そんなことがどうしてできる。私だって弟だ。兄が侮辱されたときにはその男を一刀両断にしてやるわ」
 孫権と諸葛亮の応酬に、ここに周瑜がいなくてよかったと魯粛は内心に安堵した。
 その間に互いに弟どうしのやりとりはひそかな兄自慢に変わりつつあった。
 書状をと言った魯粛に、孫策の自慢話をあれやこれやと考えていた孫権と、諸葛瑾神話に思いをはせていた諸葛亮はこほんと咳払いをした。
「海内に大乱あり、将軍は江東に兵を挙げ、劉玄徳は漢の南に衆を収め、曹孟徳と共に天下を競っております」
 諸葛亮は背を張りなおして曹孟徳はと続けた。
「今大難あり、未だに平らげてはいないというのに荊州を落とし、四海を震わせております。英雄は、このように武力を乱用してはならぬもので、劉玄徳は故にそれをさけております、将軍にもまたそのように。もし呉を以ってして越の衆と中国との拮抗がとれれば早々に絶えることもありますまいが」
 まじめな顔で説く諸葛亮を眺め、この男がこんなに真面目な顔をしてにやけ笑いもせずに説教をするのが見られるのははじめてではないかと魯粛は思い、それからそれをはじめに見てしまった孫権が、この男がいつもこんなだと思ったらどうしようかと真面目に考えてしまった。
 その間にも話は進んでいる。
「もし、その話を信じるとして、劉玄徳はどうなのだ」
 孫権の言葉に魯粛はどこか別のところに意識を飛ばしていた自分に気がついた。
 いかん、空事を考えている場合ではない
 いかにも聞いてましたとでもいうように魯粛は孫権の言葉にうなずき、諸葛亮の方を見た。
 諸葛亮は待ってましたと言わんばかり早々に口を開いた。
「劉玄徳は皇室の人間です、英才が集まり衆人がこれを慕うのは水が海に帰るが如くのことです」
 孫権はどこかむっとした様子で口を開くと、背後にある江東の地図を諸葛亮に示した。
「私は呉に、名を列挙しきれんだけの領土があり、十万の民がいる」
 魯粛は孫権のほうをふりかえった。
 何を言い出すんだ、酔っ払ったか発奮したか
 それを言うかと聞きたげな魯粛の目にはきがついたが、孫権はしかし続ける。
「劉玄徳でなければ曹孟徳と争うことはできないとでも言うのか」
 諸葛亮のにやけ笑いがでて、魯粛はこれがこの男の悪い癖だなと腕を組む。
 思い通りにことが進むとこの男の人を小バカにするようなにやけ笑いは一層にやけたものになる。表情を隠すことが少ないのは、まあ人のいいところでもあるかと魯粛は思う。
 こればかりは血筋だなと諸葛瑾の笑顔を思い浮かべ、その笑顔の癖がまったく違うことに内心であきれて眉を下げた。
 孫権はぐいと酒を呷って諸葛亮の前に音を立てて杯を戻した。
「劉玄徳が負ければ魏との拮抗は難しいか」
 ふんと口の端をもたげると孫権は諸葛亮の方を挑戦的な瞳で見やる。
 諸葛亮は顎に手を当てて口を開いた。
「劉玄徳は長坂では負けましたが、今関雲長が水軍の精鋭を率いて戻っておりますよ。劉玄徳を追う軽騎兵は一昼夜で三百余里をはしるとは聞きますが、曹孟徳の衆は皆疲弊しております。弓の強くも勢い無くば櫓を射るにその穿つ能わずというもの。北の人間は水軍の扱いにはなれておりませんゆえ、魏軍には勝てるでしょう。そうなれば荊州、呉の勢いは強まり、北に帰った魏とあわせて鼎の三脚を構成できましょう」
 諸葛亮の言葉に、孫権は不承不承というようにうなずき、魯粛を見やった。
 版図の構成はほとんど子敬と変わらんな
 孫権の目が自分に向き、魯粛は何かと問うように孫権のほうに首をかたむけた。

「魯子敬」
 朝議の席で孫権のはっきりとした声に魯粛は前へとすすみでる。
「在!」
 ひざをついて拱手する機敏なさまはどちらかといえば武人に近いようにも見える。
「ハヨウに周公瑾を迎えに行け!」
「是!」
 帰った早々に魯粛はまた船旅かと諸葛瑾は自分の位置に戻る魯粛と目を合わせて首をすくめてみせた。
 諸葛亮は兄と魯粛が苦笑するさまを見て兄と友人というのはあまり気兼ねをしないのだなとふと考えた。
 そういえば魯子敬と兄とは年齢も大体同じだなと諸葛亮は妙に納得した。
 ふたりが並ぶとなにやらそこだけ雰囲気が安穏として小春日和のような様子をかもし出す。
 なんだかあの一角だけ平和そうだ
 魯粛と諸葛瑾が並んでいるのを見るとそう思える呂蒙だが、魯粛も諸葛瑾も頭のきれる男だということを知っている。さすがに魯家の家督を守っていただけあり、魯粛はきちんと群集に即座に号令を出すことができるだけの能力をもっている。
 魯粛がハヨウに出発したのは数日も経たないうちのことである。
 ハヨウの周瑜は、水軍の様子を魯粛に見せ、これだけの機敏さがあればまず荊州水軍に対しては十分だと言った。
 荊州からこのハヨウまでは船で二日ほど、見に行こうと思えば一週間ほどで戻れる。
 呉水軍の精鋭兵は小回りの利く舟での戦線となれば縦横無尽に走りこみ、ハヨウ湖の水上を滑るように動き回る。
 ハヨウ湖は長江流域、九江から南に下ったところにある。
 その広さは場所によって対岸が見えないこともあるほどだ。
 ハヨウにうち並んだ呉水軍の船は、大きなものは水上の楼船から、小さなものは漁師の寝起きするような舟と大小さまざまなものがそろっている。
 楼船がうちそろって並べられた様子はどこか水上都市が存在するかのようである。
 もっともこのあたりの漁師の中には、江上で生活するものも多くおり、それを考えると小舟が並んでいるあたりも水上都市の一角と言えるのかもしれない。
「主上からは、早く戻るようにと帰還命令がでた。明日には出立できるように荷を整えさせておいてほしい」
 魯粛の言葉に周瑜はたしかに承ったと魯粛の言葉を繰り返し、それから水軍の練兵にもどると周瑜は号令をかけた。
 魯粛は周瑜の脇でそれを眺めていたが、まるでなにかの幻術を見ているような錯覚にとらわれるかと思った。
 周瑜が右と叫べば大きな楼船が右に旋回し、小舟は何かに引かれるかのようにすばやく右へと滑る。鶴翼と叫べば両角の小舟がすいと進み出てあっという間に鶴翼に、まえに線でも引いてあるかのように正確に陣を整える。
 魯粛の嘆息に、周瑜は満足げにこれでよかろうと笑いかけた。
 孫権の元への周瑜と魯粛の帰還はこの三日後のことで、この後の軍議の経過は先に述べた通り、周瑜の説得による宣戦布告の受理の決定で結末を見た。
 出師の発布の日、孫権の声は堂下に響いた。


9へ続く。

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