孫策の野望、社長の決断


 これは現在の国際戦略部副課長陸遜が未だ営業8課の平社員であったころの話である。
 曹魏COが袁グループに攻勢をかけていると揚子日報の朝刊で報じられた。
 江東ICの朝の幹部会議ではそれが話題の中心になった。
「諸君!」
 孫策のよく通る張りのある声が会議室に響き渡る。
 マイクを通さなくとも会議室中に聞こえる大きな声は父親譲りである。
 その父親、孫堅はすでに息子が経営に手を出し始めたのを期に会長に引きこもって悠悠自適な退職人生を謳歌している。
 …まだ40代だというのに…。
 そしてときどき頭を突っ込んでくるのもこの父親である。
 今日の会議にもなぜか孫堅は顔を出している。
 父親兼会長のにたにた笑いに、孫策は逡巡し、こほんと咳払いをして息をついだ。
「えー、その、諸君という雑誌があったな」
 営業の韓当や甘寧が小さくぶっと吹き出した。
 横で幼なじみ兼臨時秘書兼国際戦略本部長の周瑜がこりゃだめだというようにがっくりしている。
「社長…」
「ほっとけ!」
 公私をきちんと分ける周瑜が孫策にはうっとおしい。普通に友人としてアドバイスをしてくれればいいと言って臨時秘書にしているのだが、周瑜にはまったく関係のないことである。周瑜本人は自分が臨時秘書という肩書きも持っていることをすっかり忘れている。
「曹魏COが袁グループに買占めをかけているそうだが、袁グループの方は曹魏COに商業分野で攻勢をかけている。曹魏COが押されているらしいが、どうだ、ここで江東ICからも曹魏COに攻勢をかけようと思うんだが」
 脚を組みなおし、孫策はペンを片手で回して立案書の上をとんとんと指で叩きながらにやりと笑った。
 孫堅はすでに好きにしろといった風情でふんふんと鼻歌を歌っている。
「オヤジ、そこで鼻歌歌わない。俺真剣なんだから」
 孫策の言葉に孫堅はいいじゃないかとへらりと返す。
 周瑜が横で吹き出す。
「はいそこ笑わない。真面目に聞け」
 笑う周瑜の脚をを孫策が足でがすっと蹴る。
「すみませんです。だって、社長と会長家で転がってるときと同じだから思わず」
 周瑜は顔を真っ赤にしている。
 それでと切り出したのは営業統括部長の程普だ。
「具体的に、攻勢とはどうするつもりですか」
 これには孫策ではなく周瑜が戦略部門の部長として、立案書をぱしりと叩きながら応える。
「曹魏に逆に買占めをかけます。その上で袁グループの工業部門と統一規格のデザインでモータース部門の今期インテで新型車を出そうと思うのですが」
 モータース部門かとうなずいたのは営業統括部長の黄蓋だ。
 船舶利用の多い南に比べて北は自動車利用が多く、モータース部門で乗り込むということは北の自動車部門交戦に本格的に乗り出すことを意味している。
「統一規格のデザインでは面白みがないし個性もないだろう」
 言ったのは専務の張昭だ。
 これに応えたのは営業課モータース部門の周泰だ。
「いえ、デザインは同じでも内装等に違いを持たせます。エンジンも袁グループと江東ICで違うものを使用し、8気筒エンジンで馬力は必要のないリムジンタイプで仕上げる袁と12気筒エンジン搭載で馬力をつけ、スポーツタイプで出す江東でできればいいと検討しています」
 リムジンタイプと同じデザインのスポーツカーってのもどうなんだろうかと現在営業課でバイトしている孫権はふと思った。
 バイトながら会議に出ているのは孫家の次男で副社長になることが決まっているからである。ちなみに孫権はこの「身体を張って営業しています周泰」がお気に入りである。
 統一デザインとだけ聞かされていた周瑜も、リムジンタイプとスポーツタイプというのは聞いていなかったらしく、え?とすこし不安そうに周泰の方を見た。
「あの、ちょっと。リムジンとスポーツカーじゃ根本的に形が違うのでは…」
 誰も言わなかったことを突っ込んだのは営業5課の新米課長凌統だった。
 この瞬間、誰もが「あえて言わなかったことを…」と思ったのは暗黙の了解に近い。
「リムジンといってもリムジンタイプというだけで、内装にすこし凝るぐらいの普通の乗用車デザインです。リンカーンタイプを袁、江東をジャガータイプとでも思っていただければ」
 ああ、うちのをジャガーと並べるのか…
 自分の車に気を使わない周泰が筆頭でそこまで出きるのかと誰もが一抹の不安を持った。
 ちなみに周泰の車というのはボロボロの中古のスバル360を何度も修理しているもので、これが非常に高い値段で取引されているアンティーク車だということを知っている人間はほとんどいない。部下たちは常々このスバル360に周泰が乗れることを不思議がっているという。

 そのころ営業8課では名物男が有給休暇を申請していた。
「伯言が有給休暇とったって」
 その噂に営業8課の社員が水面下でざわめいたことは陸遜の知るところではない。
 今がチャンスです!
 同じく営業8課の営業部員がこぞって8課長の蒋欽のところに詰め寄せた。
「へ?」
 蒋欽はぽかんと口をあけた。
「あれをどっかにやりましょう!人事部の呂子衡部長に直訴するんです!あのデスクを移しましょうよ!」
 課員たちの指の先には陸遜のデスクがある。蒋欽は理解した。
 あの変な机を移動しようというのだ。
 陸遜が悪いやつだというのではない。
 ただ趣味がおかしいのだ。
 デスクに置かれた陸遜コレクションはこの23階ではなく31階にふさわしいグッズであふれている。
 なんでも東南アジアに行ったといって土産に買ってきたバリの仮面、ぎょろりとした目が夜中警備員の腰を抜かさせたという話を聞く。それからどこだかで拾ってきたというミイラの手、これはなぜかお守りだといって大切そうに乾燥剤と一緒に箱に入れて机に飾ってある。蒋欽が困った土産はどこだかで薬用酒だと言われて買ってきたという虫入りの酒だった。
「いや、やつが帰ってきてから私から呂部長に言っておこう。次ぎの移動で31階のどちらかに受け入れてもらえるように」
 蒋欽の言葉に課員たちはむっとした様子でなんでだと言い返してくる。
「やつがいない今がチャンスなんですよ!あの机をどこかに動かすんです!」
 喚きたてる部下の声に蒋欽は一喝して室内を静まり返らせてからぽつりと言った。
「よく聞けよ、伯言の有給休暇の名目は四国のお遍路だ」
 8課の室内にさーっとなにか寒いものが走る。
 また変なことをと思ったが、しかしこれは怖い。
「おまえたち、陸に呪われたくなかったら奴が帰ってきてからの人事異動で彼が移動してくれることを祈ってお百度でも踏んで来い」
 その日8課はこれ以上に言葉が出ることはなかったという。
 陸遜は飛行機の中でくしゃみをしていた。
「お遍路をしたらお札は蒋課長のお土産にしようかな」
 後日江東IC近所の通元寺では真面目にお百度を踏む8課員がいたとかいないとか…。

 周瑜は経理課の歩シツの訪問を受けて顔を渋らせていた。
 歩シツは怪訝な顔で周瑜の方を見やり、それから経理部で出した予算決算の報告書を突き出してぱんぱんと叩いてみせた。(2に続く

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